過去の雑誌インタビューで“障がい者イジメ”を語っていたことが発掘され、批判の嵐の中、東京五輪開会式直前に演出チームを辞任したミュージシャンの小山田圭吾。騒動後初めてインタビューに応じた内容が9月16日発売の「週刊文春」に掲載された。
小山田はインタビューを受けた理由について「今回の騒動について、どこかのタイミングで、自分から説明をすべきだと考えていました。また改めて謝罪の思いも伝えたかった」と明かし、話す時期について「ただオリンピック・パラリンピックには、僕のことで迷惑をおかけした関係者の方が大勢いらっしゃいます。話をするにしても、全ての行事が終了したタイミングにしたいと考えていました」と語った。
小山田は「実は雑誌に掲載されたイジメについては、実際に僕が行ったものではないものも多い」という。では、当時なぜ実際に行ったものではないことを得意げに語ったのかというと「インタビューではその場を盛り上げるために、自分の身の回りに起きたことも含めて語ってしまいました」と告白した。
また、当時は同級生だった小沢健二とのユニット「フリッパーズ・ギター」を解散し、「コーネリアス」としてソロで活動を始めた頃だったこともあり、自分についていたイメージを変えたい気持ちもあったという。小山田は「そこで敢えてきわどいことや、露悪的なことをしゃべってしまいました」と発言の背景についても説明した。
ネットでは《どう言い訳するにしても過去に語った内容がエグすぎて今さら感が否めない》《まずこの「自分がやったことじゃない」論は、どこに信用できる根拠があるのか全くわからない》《逆に不愉快で仕方ない。自分でないなら誰がやったの? グレーゾーンを作って逃げる気満々だね。そんな告白で許されるとでも思っているんだろうか》など厳しい批判が殺到。
「小山田が障がい者イジメを告白した1994年頃は“鬼畜系”という悪趣味系サブカルチャーがブームになっていた時代。小山田のイジメ告白もこうした“鬼畜系”ブームに乗って掲載されたものであることは想像に難くありません。 “鬼畜系”が終焉を迎えたのは1997年の神戸連続児童殺傷事件がきっかけと言われています。書店が“鬼畜系”書籍を扱わないようになり21世紀に入るまでにブームは完全に終焉を迎えました。
他人がやっていたことまで自分のことのように語った小山田の“障がい者イジメ告白”はブームに便乗したものですが、常識的な感覚があれば決して許されないことだとわかるはずです。また、その後にも謝罪、反省の機会があったはず。そうした感覚が欠如していたため、20年以上経った今、何倍にもなってしっぺ返しをくらったと言えます」(芸能記者)
小山田は“常識”に逆襲されたと言えそうだ。
(柏原廉)