タレントの山田邦子が11月7日放送の「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~」(テレビ東京系)にゲスト出演し、全盛期に受け取った月収の金額を明かしている。
素人時代に出演した「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)のオーディション企画で一気に注目を集め、1981年より女芸人としての活動をスタートさせた山田邦子。中学生の頃より披露し続けてきたというバスガイド役のネタは、現在の殆どの女芸人が取り入れる“ぶりっ子女子のあるあるネタ”を多分に含んだ元祖というべき構成で、デビュー当初からフジテレビの「オレたちひょうきん族」や「クイズ!歳の差なんて」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」といった名物番組を任される“超売れっ子”のNo.1女芸人となった。
そんな黄金のキャリアを築いてきた山田は、実に14本ものレギュラー番組を抱えていた全盛期の月収について「デパートの大きな袋に入ってて。1億円でこのくらい、ピン札で」と明かし、現金支給で知られる太田プロダクション在籍当時の破格的な給料額を身振り手振りで表現するも、「当時は皆稼いでた時代で、私は中くらい。(ビート)たけしさんなんかはもっと稼いでた。(月に)1億5000万円とかじゃない? CMをやったり色々とあるから」と打ち明けている。
「現在でこそ、吉本興業が女芸人の為のお笑いコンペティションである『THE W』を主催するなどし、女芸人がスポットライトを浴びる機会が増えていますが、1980年代にたけしや明石家さんま、島田紳助らと共にお茶の間を沸かせた山田の存在はあまりに貴重なものでした。ほぼ同期に女芸人の久本雅美も居ますが、初期の彼女は過激なネタが多過ぎたことでスポンサー受けが悪く、全国的な認知とブレイクを得るまでには相当の時間を要しました。その一方、山田は芸能活動を休止中のたけしの代役として『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の司会に抜擢されるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたからね。ネットにも山田の全盛期について『あの時代の山田邦子は凄かった』『あまり見なくなったが、この人の話術はすごい』『あの若さで女性でピンでそれだけ売れた芸人は山田邦子の後に出てないんじゃない?』『女芸人で唯一、テッペンを取った人』との書き込みが多く見受けられ、1億円という月収額にも納得といった反応が大半です」(テレビ誌ライター)
また、「やまだかつてないテレビ」は女芸人の名が番組タイトルに含まれるいわゆる“冠番組”として史上初の快挙だったとされており、山田の人気がいかに凄まじいものだったかを窺い知ることができる。
それでも自身の月収は“中くらい”だったというから、当時の芸能界のバブルは恐ろしいものだったにちがいない…。
(木村慎吾)