今年はKinKi Kids(堂本光一、堂本剛)のデビュー25周年アニバーサリー。それにともない、2人が25円でCM出演するキャンペーンを実施して、5月20日に当選企業、商品を発表。当選した16社の中に関西出身の2人のソウルフードといえる「551蓬莱」、剛の出身地の奈良県が誇る温浴施設「奈良健康ランド」の運営会社を当てるという、引きの強さを見せた。
偶然にも同じ「堂本」姓だった2人がジャニーズ事務所に入所したのは91年。同じ12歳だった。93年にデュオ活動をはじめ、翌94年にドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」(TBS系)、96年にドラマ「若葉のころ」(同)で主役を演じると、人気が爆発。メジャーデビュー前の15歳で日本武道館をフルハウスにし、97年のCDデビューにはジャニーズ史上最高額の3000万円のPR費がかけられた。
ジャニー喜多川元社長は、剛をほめて、光一は叱って伸ばした。否定されると反骨精神で能力を伸ばす光一の本質を見抜いたからだ。光一は21歳でミュージカル「SHOCK」シリーズの東京・帝国劇場の史上最年少座長記録(21歳)を打ち立てたが、その際に熱狂的な舞台ファンから「帝劇の歴史を汚しやがって」と非難された。しかし、それが逆にエネルギーになったというから、ジャニー氏の目に狂いはなかったということだろう。
同シリーズは、04年にジャニー氏が演出していた「MILLENNIUM SHOCK」が終わり、05年から光一の脚本・音楽・演出による「Endless SHOCK」に一新。ジャニー氏路線が終えんする際、2人はぶつかり合ったという。劇場関係者が振り返る。
「実は04年でいったんSHOCKを終わりにしようかという話が出たんです。『もし05年があるなら、1回リセットして、自分が思うSHOCKを構築してもいい?』と光一がおうかがいを立てると、ジャニーさんは怒り口調で『勝手にすればいいじゃない!』と。OKなのかNGなのかの真意を聞くことなく、05年を迎えたそうです」
光一は、命綱なしのフライングや殺陣、階段落ちなどを盛り込み、構成を変えた。最終リハーサル日、エンディングで光一が作曲した楽曲「夜の海」を歌いながら踊っているシーンを見たジャニー氏は、「YOU、なんでこんな暗い曲を最後に持ってきてるの」と憤怒。光一が「これはクライマックスの最後に向かっていくために絶対にいいシーンになるから、このままやらせて」と主張を貫くと、「勝手にすればいいじゃない!」とジャニー氏は劇場を出ていった。
「この2回目の『勝手にすればいいじゃない!』は光一の心に響き、劇場を後にしたジャニーさんの後ろ姿が今でも忘れられないそう。数年後、『ジャニーさん何かある?』と意見を乞うと、『もう何も言うことはないよ‥‥』だったとか」(前出・劇場関係者)
「Endless SHOCK‐Eternal-」は5月31日で帝劇公演を終え、9月から福岡・博多座で上演。「エターナルプロデューサー ジャニー喜多川」のクレジットは、今なお残ったままだ。
(北村ともこ)