さる5月4日に放送された「太田×石田のデララバ」(CBCテレビ)で、爆笑問題の太田光が、普段なら絶対にあり得ない、相方・田中裕二への感謝を語る激レアな一幕があった。
大学時代の演劇学科で知り合い、今年でコンビ結成36年目を迎えるベテランの太田と田中。バラエティ番組では互いをイジり合う応酬がお馴染みで、特に太田から田中への当たりは強い。が、この日の放送では視聴者より「嫌かと思いますが、田中さんのことを“いいヤツだな”と思ったエピソードを教えてください」との“ハードなリクエスト”が寄せられた。
案の定、太田は、「いいヤツだと思ったことがないもん!」と突っぱねた。が、実はデビュー直後の1990年に太田プロとの軋轢で退所し、業界を干されかけた時期には、そんな田中に感謝せざるを得ない日々があったと、ついに明かしてくれたのだった。
「コンビを組んでから仕事がなくなった時期、とにかくウチは夫婦で借金だらけでね」と、妻で所属事務所社長・太田光代氏と過ごした苦難の時代を回想。さらに、
「借金取りから電話がかかってくるんですけど、布団をかぶって居留守を使ったりして。カミさんは母親から譲り受けた着物を質に入れてさ。家中を探しても3円しかなくて」
太田夫妻は、経済的に逼迫した生活だったわけだが、対照的に田中はアルバイトに精を出し、前向きに奮闘していた。太田はこう続けた。
「それで、コンビニでバイトしてた田中に『廃棄弁当でもいいから持ってきてくれないか?』って電話して。(家にやってきた田中が)ピンポン押しても、俺は借金取りが怖くて出ないからさ。そーっと開けたら、ドアノブに弁当を引っかけてくれててね。あれは田中君に命を救われましたね」
困窮時代の食料を田中のお陰で調達できていたと感謝したのだった。
「光代社長は爆笑問題の2人と歩んだ下積み時代を様々な番組で振り返ってきましたが、基本的な3人の役割としては、社会生活に全く向かない太田にはネタを考えることに専念してもらい、残りの2人がコンビニのバイトで生活費を稼ぐという構図だったといいます。しかし、爆笑問題の“ブレーン”のはずの太田は光代氏の自宅でひたすらテレビゲームに明け暮れる日々で、RPGゲームの中で大量のコインを稼ぐだけの堕落した生活だったようです。23年4月に帆放送されたラジオ番組『SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ』(TOKYO FM)では、そんな頼りない当時の太田に対し、光代社長は常日頃から『私と田中はコンビニの店員。だけど、あなたは(ゲームの)勇者だからね? 職業が勇者なの、あなたって』と皮肉を浴びせていたと振り返っていましたね」(テレビ誌ライター)
しかし、ゲームばかりに没頭していた太田を見捨てず、廃棄弁当を手土産に渡し続けていたという田中。これにはネットでも「素直に話せるところも含めて、本当に素敵なエピソード」「泣ける」などの反応が上がっていた。“渋々”ながら、太田がこれほどストレートに田中への感謝を語ったことには何とも深いものを感じさせられた。
(木村慎吾)