6月8日の「VS嵐」に、KAT-TUNの中丸雄一とNEWSの小山慶一郎が出演。その中で、中丸が小山に「デビュー前に小山君、KAT-TUNとして活動してた期間があるじゃないですか? その時の気持ちってどんなんだったか聞きたくて……」と質問し、小山がそれに「複雑でした」と答えるシーンがあった。
ジャニーズは、デビュー前に様々なユニットが組まれ、そのメンバーのままデビューすることもあるが、土壇場で急きょ増員があったり、元は別のグループで活動していたり、ということがよくある。古くはSMAPの中居正広。中居本人が「もう少しローラースケートの練習を頑張っていたら、光GENJIだったかもしれない。ローラースケートの練習より遊びを優先していた」と語っている。
また、SMAPのデビュー前のグループ「スケートボーイズ」にTOKIOの国分太一がいたことは有名だが、実はV6の長野博もジャニー社長に「ユー、スケボーできる?」と聞かれていた。その時「できる」と答えていたら、SMAPのメンバー構成は変わっていたかもしれない。
一方、V6の坂本昌行はTOKIOの一員になる可能性が高かった。TOKIO結成記者会見の前日、社長からリーダーの城島茂に「長瀬と坂本のツインボーカルにしては?」という提案の電話が入っていたからだ。またV6は、岡田准一と同期で同じ年の大野智が6人目のメンバー候補だったともいわれている。
嵐の相葉雅紀もジャニー社長から提案を受けたクチ。嵐結成の3日前に「ユー、パスポート持ってる?」と聞かれ「ある」と答えると「じゃ、ハワイ行こう」と言われて華々しいデビューが決まったという。今でも相葉は「あの時持っていなかったらどうなっていたのか? 他にも声をかけていたメンバーがいるのか?」などと疑問を隠せないでいる。
ほかにも、Kis-My-Ft2の前身であるKis-My-Ft.の「M」は宮田俊哉ではなくNEWSの増田貴久だった、嵐には滝沢秀明や生田斗真が入ると思われていた、などジャニーズのデビュー秘話には枚挙にいとまがない。社長の勘、タイミングによっては、それぞれのメンバーの顔触れは大きく変わっていたのかもしれない。