11月1日で解散したV6。ジャニーズJr.だった坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、森田剛、三宅健、岡田准一をグループ結成に導いたのは「剛健」コンビ。森田と三宅によるデュオだった。
森田は中学3年生、三宅は中2でジャニーズ事務所に入所。最初は先輩のバックダンサーとしてテレビカメラに見切れる程度だったにもかかわらず、人気を獲得。ファンが選ぶ「ジュニアで恋人にしたい」ランキングで史上初の同率1位となり、Jr.で初めてオフィシャルグッズが発売。Jr.で初めて単独コンサートを開いた。
森田は中学生で茶髪。無愛想で先輩への敬語、あいさつもしっかりできなかった問題児。事務所関係者からたびたび注意された。それでもクビにならなかったのは、ずば抜けた人気と“金脈”を掘り当てる審美眼があったからだ。
V6で、いちばん最後に加入したのは岡田。伝説のバラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)の公開オーディション企画「ジャニーズ予備校」で合格して、メンバー入りした。そのオーディションの最終審査員が剛健だったのだ。
「審査員にはKinKi Kidsの2人もいました。岡田はTHE BOOMの曲を披露。ぽっちゃり体型に目力が印象的だったため、森田も三宅も合格に票を入れました」(アイドル誌ライター)
岡田は後日、地元の大阪から呼ばれて上京。すぐに帰阪するつもりだったため、着ていた白のオーバーオール、かばんにはドライヤーしかなかった。剛健はアンダーウェアをあげ、テレフォンカードをあげ、健康のことを考えて納豆を食べさせた。洗濯をしてあげ、パンやお菓子を買ってあげた。ダンスレッスンに深夜まで付きあってあげたこともある。
「岡田の高校進学の転校手続きは勝手に済まされており、SMAPのバックダンサーを少し務めただけで、入所わずか4カ月後にV6としてCDデビュー。95年当時、入所からデビューの最速記録で、14歳は最年少記録でもありました」(前出・アイドル誌ライター)
こうして岡田は剛健とKinKi、故・ジャニー喜多川氏によって発掘された。森田剛は問題児だったが、その審美眼もあって、ジャニーズを追い出されることはなかったわけだ。
森田はジャニーズから離れたが、岡田にとって恩人であることには一生変わりはない。
(北村ともこ)