あと一歩のところで、ビッグクラブからの邪魔が入ったようだ。ブラジル代表として4度のW杯に出場した経験を持つ伝説的サイドバック(SB)のカフー氏が、かつて日本のJリーグクラブに加入寸前だったことを明かしている。
参戦した4度のW杯のうち、1994年と98年、02年の3大会で決勝へ進出し、優勝2回、準優勝1回という偉業を達成しているカフー氏。日本でもよく知られた元ブラジル代表MFドゥンガからキャプテンを引き継ぎ、攻守に奮闘する世界最高の右サイドバックとして一時代を築き上げた。
クラブレベルでは1997年に加入したセリエA・ローマでの活躍で一気に名を馳せ、元日本代表MF中田英寿ともプレー。2001年にリーグ優勝を経験すると、2003年にはローマを退団したタイミングで日本の地へ上陸することが“既定路線”だったという。現地サッカーメディア「Milan News it」が同氏の言葉を紹介している。
「2003年、私はローマの後に日本の横浜(F・マリノス)へ行くつもりだった。彼らとは事前契約を締結し、すでに私の口座への支払いも完了していたよ」とマリノスとは契約が合意していたと告白したが、その1カ月後に事態が急転した。
カフー氏によると、イタリアの世界的名門クラブ・ACミランからの興味を知り、当時のスポーツ・ディレクターだったアリエド・ブライダ氏と、元ブラジル代表でミランに所属していたレオナルド氏から電話で連絡を受けたと回想。ミランを率いていた名将カルロ・アンチェロッティが「自分のことを欲しがっていると聞かされた。私は33歳だったから、『本当か? 冗談だろ?』と聞くと、2人は『本当だ』と言っていた」とイタリア人監督からの誘いに心が揺れる。
カフー氏は、ブライダ氏に「私は日本へ行くんだ」とすでに新クラブとサインしたことを伝えたが、イタリアのビッグクラブからの手招きに負け、マリノスとの契約解消を決意。当然、マリノスからは「お金は全て振り込んでいるので、キャンセルは不可能だ」と返されるも、カフー氏は「契約金は全額を返金するから口座番号を教えてくれ。お金は1円も使っていない」と譲らず、最後は半ば強引にミラン移籍を断行したという。
「いわく、まだマリノスとは正式な調印はなされておらず、事前契約という名の口約束だったようで、だからこそマリノスは予め契約金を振り込んで気が変わらないようにしたのでしょう。本来なら、ミランからの誘いがあった翌月に来日し、マリノスと正式契約を交わす予定だったといいますが、カフー氏は『日本へ移籍するかもしれなかったが、私は行かない。ミランへ行くよ』と、急きょマリノスに説明。もちろん、これを不服としたマリノス側の様子を『少し怒っていたよ』と振り返っています。当時、カフー側は、まだ日本での感染者が確認されていなかったにもかかわらず、SARSウイルスへの懸念を理由にアジア行きを中止したと報じられましたが、どうやらそれは単なる後付けの言い訳だったようですね」(スポーツライター)
“史上最高の右SB”と崇められた天才だけに、マリノスが逃した魚は大きすぎた。しかしながら、なぜ当時の超人気銘柄で、フリーとなっていたカフー氏に横ヤリが入る前に、現地へ正式サインをしに急行しなかったのかは悔やまれるところである。
(木村慎吾)