70歳を過ぎてもなお、お笑い界の第一線をひた走る大御所・ビートたけし。昭和と平成をまたにかけて頂点に君臨し続け、経験談のすべてが規格外だ。その経験談のひとつに関わっているのが、昭和のアイドルシーンを塗り替えた光GENJI・諸星和己。2人は、公私にわたって仲が良かったという。
「そもそも諸星は、たけしの命の恩人です。94年8月、たけしはバイクで大事故を起こしていますが、この第一発見者が諸星だったんです。その日の夜、諸星はたけしに会いに行く約束をしていたんですが、仕事が長引き、夜中になったうえ、事故渋滞にハマってしまった。その道中、人がうつ伏せに倒れ、出血している事故現場に遭遇。愛車に設置していた、当時はセレブしか持つことができなかった移動式電話を使って連絡して、その場を去りました。血の気が引いたのは、翌朝。その人こそが、たけしだったんです」(芸能レポーター)
当時、諸星はまだジャニーズ事務所に所属していた。ワイドショーが大々的に大事故を報じていたとき、ジャニーズのスタッフから電話で、「たけしさんが死にました」と誤った情報を聞かされた。テレビに映しだされている衝撃映像と誤報が合致したため、目の前が真っ暗になったという。
「そのころの2人といえば、芸人とアイドルのトップ同士とあって、ヤバすぎる恋愛事情を握りあうほどの仲だったそうです。しょっちゅう、互いの家を行き来していました。諸星が20代のとき、たけしと浅草ロック座のダンサーを自宅に招いて、自分は照明係をやって、大盛り上がりしたこともあったそう。そのとき、たけしは『明かりの当て具合を人生に置き換えてみろ。光り方が違うだろ』とカッコいい人生訓を口にしています」(前出・芸能レポーター)
たけしの芸人生活は、浅草ロック座でスタートした。その教訓を、トップアイドル宅で開催されたショーで口にしたようだ。そんなたけしは、95年の光GENJIの解散後、諸星が活動拠点を米国ニューヨークに移す際、唯一賛成した芸能人だという。
たけしがもっとも親交を深めたジャニーズタレント、それが諸星。互いが握る「知れば芸能界がひっくり返るほどの墓場ネタ」が気になるところだ。
(北村ともこ)