Kis-My-Ft2(以下、キスマイ)が5月21日、埼玉・ベルーナドーム公演で5大ドームツアーをスタートさせる。今年は1月にアリーナツアーを始動させ、ファイナルの4月10日、サンドーム福井公演は、同日に開設した公式YouTubeチャンネル「Kis-My-Ft2」で一部を生配信。およそ9万人が同時視聴し、人気の高さを改めて実証した。
今でこそドームクラスの会場をフルハウスにできる7人組。ところが、グループが結成された05年からメジャーデビューにいたった11年までの間は、平たんな道ではなかった。
そもそもメンバーの大半は、ジャニーズJr.時代にデビューをちらつかされながらも断ち切られている。北山宏光と藤ヶ谷太輔は嵐のバックダンサーだった「嵐組」、横尾渉は「K.K.Kity」、千賀健永と二階堂高嗣は「A.B.C.Jr.」、玉森裕太は「J.J.Express」、宮田俊哉は「田組」に属していた。
ある日、突然門前払いを食らわされたのは、現在はセンターの玉森。スタッフから「J.J.、こっち来て」と集合をかけられて行くと、「いや、玉森はいい」と返されたのだ。訳を知らされずに村八分となり、A.B.C.Jr.に合流させられた。
時を同じくして、嵐組から増田貴久、K.K.Kityから小山慶一郎と加藤成亮(現・加藤シゲアキ)と草野博紀が脱退。新グループ「NEWS」に移り、「バレーボールワールドカップ2003」のスペシャルサポーターに選出されると同時に、CDデビューが決まった。実はこの時、嵐組から北山も声をかけられていた。
「ジャニー喜多川さんからリハーサルの後に呼ばれて、『絶対親にも言わないでね。YOUたちバレーボールやるから』と告げられていたのです。その1週間後、NEWSのメンバーが発表。自分の名前はなかった。K.K.Kityだった横尾さんも同じ経験をしていますが、彼の場合は仲が良かった小山から事前に聞かされていました」(アイドル誌ライター)
そんななか、唯一平和だったのが宮田。田組は、メンバーの苗字に「田」が入っていることでジャニー氏が命名したが、案の定自然消滅。宮田もA.B.C.Jr.に加わった。ここから同ユニットは、Kis-My-Ft2とA.B.C-Zに分裂した。
「Kis-My-Ft2はグループ名の『K』から『2』まで、メンバーの頭文字。ですが、正式に発進する前の『M』には、複数の候補がいました。ホワイトボードのいちばん下に、小さく書かれていたのが『宮田』。いちばん上に、大きく書かれていた第1候補は『増田』。実際に、NEWSと掛け持ちした時期があります」(前出・アイドル誌ライター)
当時、ジャニーズではバレーボールW杯が開催される4年間隔でデビューグループが生まれていた。95年のV6、99年の嵐、03年のNEWSに続く07年はキスマイで内定という噂が、業界内でまことしやかに流れていた。ところがデビューを飾ったのは、メンバー全員が平成生まれの後輩のHey! Say! JUMP。キスマイは、バックダンサーに徹したこともある。
落ちこぼれ集団だったキスマイ。今では立派なドームアーティスト。感慨深いのはメンバー自身だろう。
(北村ともこ)