タモリは“プペルの生みの親”だった!カジサックの「正直…そんなですよ」発言に西野亮廣が“絶対に同調できない”ワケ
お笑いコンビ・キングコングの西野亮廣が4月25日に自身のXアカウントを更新。相方の“カジサック”こと梶原雄太による大御所芸人・タモリへの波紋を呼んだ発言について言及している。
梶原は、4月20日に公開されたYouTube動画内で、共演者のヒカルが「オレ、ずっと昔から思ってたんですけど、タモリさんって全く面白くないと思ってて、いまだに僕、(面白いとされる理由が)わからなくて」「(タモリの往年の持ちネタである)イグアナのマネしてて、めっちゃ面白くないやん」と語ったことに対し、梶原自身の「好み」としても「全くハマらなかった」と同調。続けて、梶原は「お笑いでもなんでも好みってあるけど、オレは正直…そんなですよ」「どっちかっていうと、とんねるず派なんで」などと発言し、多くの批判を集めてしまった。
すると、西野はこの騒動に関し、Xで「キンコン梶原で笑ったことなんて一度もないし、もともとテレビに出ていたらチャンネルを変える芸人の一人でしたが、今後はさらに距離を取ろうと思います(そもそも梶原はテレビから呼ばれてないけど)」とイジり、過去にタモリが生放送中に発した絶妙な例えのボケを紹介して「タモリ、おもしれーだろ!」と主張した。
ただ、西野にはそれ以上に、タモリには足を向けては寝られないほどの大きな恩があるようだ。
「話がある」と飲みに誘われて…
2020年4月、音声プラットフォーム「Voicy」で語られたテーマは「10年以上も守り続けている“タモリからの教え”」だった。その中で、西野は芸能界で人気絶頂だった25歳の頃から「テレビに限界を感じて、テレビの世界から軸足を抜いた」といい、具体的なその後の活動がまだ何も決まっていない状態ながら「とりあえずテレビを辞めることだけを決めて、2〜3週間ぐらい、あてもなく毎日飲み歩いていた」「ぼんやりと決めていたのは“次にやる仕事は世界までつながっているものにしよう”ということだけだった」と振り返った。
そして、そんな西野にとって、キャリアを大きく変えるターニングポイントとなったアドバイスを残したのが、タモリだったという。
「ある日、タモリから『話がある』として飲みに誘われ、銀座の地下のバーで飲んでいたところ、突然『お前、絵を描け』と助言されたと明かしています。当時、西野は絵を描くことに興味はなく、そうした活動をするという発想すらなかった時期でしたが、“タモリさんが自分を呼び出してまで伝えるというのは、よっぽどのことだろう”と考え、すぐに『はい、わかりました』と返答。その夜のバーの帰り道から『絵本作家になりました』と説明しています。タモリのアドバイスを受けたのは09年のことで、のちに西野のライフワークとなる絵本『えんとつ町のプペル』を出版したのは16年です。かなり早い段階でタモリは西野の絵の才能を見抜いていたことになり、他にも西野はタモリから『時代は絶対に追うな』『“突き抜ける”という目的に対して、“時代を追う”というのは逆行している』『時計の針は必ず一周して回ってくるから、その場にいて、徹底的に磨いておけ』などの金言を授かり、大切に胸に刻んでいると感謝していました。なお、タモリからは何度か飲みに誘われていたものの、『マジメな話をしたのは合計時間にしておそらく2〜3分くらいしかないので、その(銀座での)1回はすごく覚えています』とも振り返っています」(テレビ誌ライター)
タモリの才能や偉大さは、必ずしも「面白さ」だけでは語り切れず、それは梶原の相方が肌で感じているようだ。
(木村慎吾)
