Kis-My-Ft2が結成10年目に突入した。現在と変わらぬ7人体制でスタートしたのは11年。グループ名はメンバーの頭文字から取っているが、「Ki」を北山宏光の「K」と退所したメンバーの頭文字「i」で分けていた頃から数えると、稼働年数は15年を超える(現在は北山の「Ki」)。
北山は、ジャニーズ事務所に入所したのが遅いほうだ。中学生の時はサッカー三昧で、インターハイに出場したほど。堀越高等学校にサッカー推薦で入学したが、スポーツひと筋で生きてきたため、すでにジャニーズJr.の人気者で、堀越の同級生だった山下智久を知らなかった。金髪で目立っていた山下に、「電話番号、教えて」とズケズケ聞けるほどの強心臓。その山下の影響もあって、17歳でジャニーズJr.研修生として入所した。
「当時、17歳のJr.は最高齢でした。一日でも早くジャニー喜多川社長に顔と名前を覚えてもらわなければと、焦る日々。そこで取った行動が、服装で目立つことでした。靴からアウターまで、全身真っ赤のコーディネートでレッスン場に現れたのです」(アイドル誌ライター)
きっかけは、ジャニーさんが赤い服を着たJr.をほめていたのを偶然見たことだ。以来、赤い私服でジャニーさんの前に現れるよう心がけた。思いは通じた。ついに、ジャニーさんから話しかけられたのだ。
「でも、その内容は『YOUはなんでいつも赤色なの?』と事もなげ。ジャニーさんにとっては、赤色が好きな子という認識に過ぎませんでした。赤い服を着てほめられていたのは、のちにHey! Say! JUMPとなる薮宏太。入所後はYa-Ya-yahというユニットに選出されて、02年5月にNHKアニメ『忍たま乱太郎』の主題歌『勇気100%/世界がひとつになるまで』でCDデビュー。2年後には、あの伝説の学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBS)第7シリーズに出て、トントン拍子で売れました」(前出・アイドル誌ライター)
全身真っ赤の北山のファッションセンスは、SMAP時代の中居正広とよく似ている。スポーツ少年だったがゆえにおしゃれに無頓着で、ダサいとの評もあった。
思えば、キスマイはSMAPにとって最後の後輩。宮田俊哉、横尾渉、千賀健永、二階堂高嗣は、中居に派生ユニット・舞祭組をプロデュースしてもらった。北山は、中居から地元の親友たちとのゴルフに誘われ、貴重なプライベートタイムを共にしている。
昨年3月、「中居正広の身になる図書館」(テレビ朝日系)が終了したときは、準レギュラーとして出演したお礼として、およそ42万円もするクロムハーツのレザーブラックのトートバッグをプレゼントされている。
キスマイ10年の歴史は、中居なしで振り返ることができない。北山は“中居化”して当然といえよう。
(北村ともこ)