平野レミ 「ファミリーヒストリー」でわかった自由奔放キャラのルーツと義娘・上野樹里の功績
1月12日は朝から「平野レミの日」だった。
通常なら「あさイチ」(NHK)が放送される枠で、2015年から不定期で放送されている「平野レミの早わざレシピ!」(NHK)が生放送され、夜7時半からは「ファミリーヒストリー」(NHK)にもゲスト出演。父方のルーツがスコットランド王直属のワインマスターを務めた名家であることや、母の実家「田熊家」が質屋や印刷所、乾物屋などを営む大きく厳格な家だったこと等を紹介した。
レミの母親・清子さんは女学校を抜け出しては浅草の映画館で洋画を観ることが好きだったそうで、後に夫なるレミの父親・平野威馬雄さんとは、厳しい家を飛び出して働いていたバーで出会い、初めて威馬雄さんが来店した時に「場末だな、ここは!」とべらんめぇ調で言いながら入ってきたことから、「まぁステキ」「日本語を話すかっこいい外国人が来た!」とひとめ惚れしたことなどが明かされた。
ちなみ威馬雄さんは外国人ではなく、明治時代に来日し、後にサンフランシスコ日米協会The Japan Society of San Francisco(The Japan Society of Northern Californiaの前身)の初代会長を務めたヘンリー・パイク・ブイ(Henry Pike Bowie)さんと、当時、横浜に住んでいた平野駒さんとの間に生まれたハーフだ。ブイ家はスコットランド王直属のワインマスターも務めた名家で、18世紀にスコットランドからアメリカのメリーランドに新しい活路を求めて移民したという。
レミが「料理愛好家」として初めて出演した、1985年放送の「きょうの料理」(NHK)で披露した、牛肉と手で潰したトマトを炒めた料理「牛トマ」を初めて作ったのは、このレミの祖父であるヘンリーさんだ。レミは「おじいさん、お父さん、私、お嫁、孫。5代、100年」もの間、継承されている「牛トマ」のことを「ベロつながり」と表現。独自の言葉を持ち、天真爛漫なまま3月には79歳を迎えるレミのルーツを、この「ファミリーヒストリー」は実にわかりやすく表してくれたと思う。
威馬雄さんはレミの母親・清子さんが「外国人」と勘違いするのも納得の顔立ちだったことから、幼い頃から混血児と言われ、差別に苦しんだという。幼い頃のレミと一緒に写る写真なども数多く公開され、レミが高校進学するものの学校になじめず、辞めたい旨を伝えると理由も聞かずに「辞めろ」と言ったそうだ。その代わり「好きなことを徹底的にやれ」と言われ、レミはシャンソン歌手の道へと進み、1972年には出会って10日でイラストレーターの和田誠さんと結婚。
レミは和田さんとの結婚後はしばらく専業主婦をしていたが、和田さんの勧めで「料理愛好家」として再び表舞台に。それからは「料理」の仕事と息子2人の「子育て」をしていたが、子育てが終わったところで「レミに歌だけは歌わせてやってくれ」と結婚時に威馬雄さんから頼まれたていたこともあり、夫・和田さんは、レミにシャンソン歌手としての再始動を後押し。レミは現在も歌手活動を継続している。
2019年に和田さんが亡くなった後のレミは、「和田さんがいないだもん」「淋しい」などと泣き暮れていたそうだ。VTR出演したレミの長男でロックバンドTRICERATOPSの和田唱は、妻である上野樹里が、そんなレミの手を取り、自分の手を握らせ、「半分ここにいるじゃん」と言い、「ほらほら、手をつなぎなよ。いるよ、ここに」と言ったことでレミの表情が変わり、「そっか」「(長男の和田唱は)和田さんと一緒に作ったんだもんね」と、レミが和田さんの死から立ち直るきっかけを作ってくれたと明かした。
理解ある両親に愛され、自由奔放に生きてきたレミの笑顔は、上野によって救われたと言っても過言ではないだろう。
レミにはこれまで以上に大胆な早わざレシピをどんどん披露してほしい。もちろん、大好きな歌もずっと歌い続けてほしい。
(森山いま)
