新井浩文「復帰舞台後の『謝罪』note」最後の1文が”どうしても理解できなかった”理由
2018年7月、自宅に呼んだ派遣型マッサージの女性従業員に乱暴したとして、翌19年2月に強制性交の容疑で逮捕。20年12月の控訴審で懲役4年の実刑判決が確定して服役していた新井浩文が、昨年末に仕事復帰を果たした。
東京・下北沢のザ・スズナリで12月28日まで上演された劇作家・赤堀雅秋の一人舞台「日本対俺2」に、新井は日替わりゲストのラストとして出演した。さらに翌29日には自身の「X」を更新し、自分が「note」に「謝罪」と題した文章をアップしたことをアナウンス。しかしこの「note」に書かれている内容を目にした人々からは、「つくづく抑制が効かない人」と呆れた声があがっている。なぜなら「謝罪」というタイトルでありながら、世間にケンカを売っているようだからだ。
「note」を読むと、新井が仕事復帰した作品を上演していた劇場に入る際、サインを求めてきた一般人2名がいたそうで、要望に応えていたところ、TBSのカメラクルーが突撃してきたそうだ。編集やモザイクなどで、一般人2名には迷惑がかからないようにするのだろうが、最低限のマナーというか暗黙のルールというか、そうしたものから逸脱した行為ではないかと、新井は問題提起していた。また、「仕事を一緒にやろう」と声をかけてくれる人がたくさんいることも綴っていた。これらの内容は普通に理解できた。
私だけでなく、多くの人が首をかしげているのは「最後の最後に、犯罪者が戻れる芸能界は甘いとか思ってる方達へ。日本で出来る職業、前科があっても大体戻れます。*一部の職業は出来なくなります」という1文だ。
世間にケンカを売っているようにも受け取れるし、最後の最後にこれを書いたという事実に「抑制が効かない」と指摘する声があがるのもよくわかる。なぜこのような1文を「謝罪」とタイトルを付けた文章の最後に書いたのか。どれだけ考えても私には理解できない。
刑期を終えた新井からセカンドチャンスを奪うようなことはできないが、被害者の「傷」は一生、癒えることはない。「傷」は誰かと分かち合えるものでもない。生きることは「傷」を背負い続けて歩くということだ。新井のように有罪判決が下され服役した人は、刑期を終えれば「仕事」ができる。しかし、刑期を終えたことは「罪ほろぼしを終えたこと」ではないと思う。
新井には被害者の気持ちを理解する努力を、一生怠らないでほしい。
(森山いま)
