2020年、いよいよ嵐のラストイヤーを迎えることとなった。その嵐がトップアイドルの礎を築いたのは、06年だといわれている。前年の05年、松本潤主演の大人気ドラマ「花より男子」(TBS系)の1stシーズンが放映。グループ人気と知名度が上がりはじめた翌06年、櫻井翔が「NEWS ZERO」(日本テレビ系/現「news zero」)の月曜日の報道キャスターに、ジャニーズ事務所で初めて就任した。二宮和也はクリント・イーストウッド監督の米ハリウッド映画「硫黄島からの手紙」に抜てきされ、ファン層が一気に拡大した。
「硫黄島からの手紙」は、ジャニーズタレント初のハリウッド作。二宮にしてみれば、何十本も受けたオーディションの1本に過ぎなかった。受けはしたが、受かるつもりはなかったようだ。
「二宮が芸能活動を始めたのは、14歳。23歳のときに、『硫黄島』に出ました。ホテルの一室で行なわれたオーディションは、『どうせ落とされる』と思って臨んだそうです。監督に会えれば話のネタになると思った程度でした。にもかかわらず、監督は不在。カメラに向かって演技をする形式でした。やる気が一気に失せ、セリフがない一番短いシーンの役を演じてみせました。完全なる手抜きです」(アイドル誌ライター)
短すぎたため、スタッフは「それだとわからないから、もうちょっと長いのをやってください」とリテイクを要請した。それでも二宮は、「僕はこれで大丈夫です」と平然と言い返した。この間もカメラは回っていた。一連のやりとりを見たイーストウッド監督が、「こんなにやる気のない子も珍しい。ぴったりだよ、この役に」と“変更合格”させた。
「同作は主演の渡辺謙さん以外、すべてオーディションでキャストを決めました。二宮さんが受けたのは、加瀬亮さんが演じた清水洋一陸軍上等兵。でも、闘争心がない態度を見た監督は、まったくやる気のない西郷昇陸軍一等兵の役に急きょ変更。年齢設定も二宮を慮って、40代から30代に下げました」(前出・アイドル誌ライター)
「合格した」と聞いた瞬間、二宮はカメラを探したという。ドッキリだと思ったからだ。
世界が認めた一流監督の咄嗟の英断は、見事にヒット。二宮は俳優の幅を広げ、ジャニーズ初のハリウッド俳優としての高評価と恩恵を受けた。16年には、吉永小百合主演・山田洋次監督の映画「母と暮せば」で、日本アカデミー賞主演男優賞の栄冠を獲得。V6・岡田准一に続いてジャニーズ史上2人目の栄誉を手に入れた。
06年は嵐にとってはもちろん、二宮と櫻井にとっても忘れられない分岐点。その後の跳躍を決定づける1年だったのだ。
(北村ともこ)