タレントの山田邦子が4月26日放送の「痛快!明石家電視台」(MBSテレビ)に出演。45年以上のキャリアにおける「最高月収」を明かし、共演者を驚かせている。
この日、放送35周年を迎えた同番組で、MC・明石家さんまと山田の数十年ぶりのトークが実現した。2人はフジテレビの人気コント番組「オレたちひょうきん族」で共演した“戦友”。バブル期の豪遊エピソードなどで盛り上がる中、村上ショージからは、山田の全盛期の月収にまつわる質問が寄せられた。
山田は「あの頃って、振込があったでしょうけど、なぜか関東のウチの事務所は手渡しだったのね。デパートの紙袋に入れてドンとくれるわけ。イヤだったわ」と当時の事務所からギャラを現金で手渡されていたと語る。
これにお笑いコンビ・アキナの秋山賢太が「帰りとかめっちゃ怖くないですか?」と尋ねると、山田は「そのまま(お金が入った紙袋を)楽屋に置いて本番とか行ってるからね。後輩はわかってるから、その(給料)日が。『終わってから、どっか連れてってください』って。(札束の)上から1枚ずつ払ったりとかそんな感じ」と、“バブリーすぎる”エピソードを披露。続けて、秋山が「どれぐらいあったんですか? 月収は」とストレートな質問をぶつけると、山田は「1億(円)ぐらい」と即答し、スタジオは大騒ぎに。元雨上がり決死隊・蛍原徹から「月に?年(年収)じゃなしに月(月収)?」と驚かれた山田は、「だから、ちょっとおかしいのよ、この話は」と苦笑いしつつ、「たけしさんはもっともらってたからね」と暴露。これにさんまも「たけしさんはその掛ける、もうナンボかや」と補足し、ビートたけしはそのさらに何倍もの月収を稼いでいたと打ち明けている。
「山田邦子は女性芸人として初めて天下を取ったタレントとして認知されており、バブル期の伝説は枚挙にイトマがありません。最も多忙だった1985~1995年にはレギュラー番組を14本抱える超売れっ子で、NHKが実施した『好きなタレント調査』では8年連続1位という快挙を達成。昨年9月にゲスト出演した『あちこちオードリー』(テレビ東京系)で語ったところによれば、月収1億円が“通常運転”の頃は、ゴルフや釣りに行くのもヘリコプターを使っていたそうで、“ハマってやめられなくなった”と説明。共演者から『釣りの時ぐらいはバス乗ってくださいよ』と突っ込まれるも、山田は『ヘリ、速いのよぉ』と話し、異次元な私生活を明かしていました」(テレビ誌ライター)
ただ、そんな山田をもってしても、“さらにその数倍を稼いでいた”のがたけしとあって、上には上がいるのが芸能界の凄まじさといったところか。
(木村慎吾)