平昌五輪の開幕を直前に迎えた2月4日、フィギュアスケートの宮原知子選手が自身の練習を公開した。復帰まで10カ月を要した股関節の疲労骨折は完治したものの、四大陸選手権の時には左足の甲に故障があり、思うような演技ができなかった。しかし、ジャンプの確度も上がり、調子はまずまずの様子。子どもの頃からの夢=「オリンピックで金メダルを取ること」に向けて、練習にも熱が入っていることだろう。
とにかく練習熱心で知られる宮原選手。濱田美栄コーチをして「これまで見てきた生徒のなかでいちばん練習する」と言わしめ、元五輪代表の鈴木明子も「あれほど練習を重ねる選手を見たことがない」と舌を巻くほど。もちろん、骨折で氷上練習ができない間も地道な練習を重ねてきていた。
「濱田コーチが感心していました。宮原選手は泣き言ひとつ言わず、右足が使えなければ左足でできる練習、ジャンプがダメならステップと、できる範囲の地道な練習を重ねたのだそうです。ほかの選手がジャンプの練習をしている時にスケーティングの練習しかできないというのは精神的に辛く、焦りも感じるはず。それでも宮原選手はひたむきに練習を重ねたのです。本人も『今までのスケート人生の中で、いちばん中身の詰まった重要な1年』だと語っており、その努力がまさにこの五輪で報われようとしているのです」(スポーツライター)
「自分はまだまだ」「(平昌五輪の後も)自分には磨くことがたくさんある」と語っているという宮原選手。彼女にとって平昌五輪はひとつの通過点であり、さらなる高みを目指すための登竜門でもあるのかもしれない。
(芝公子)