ともに還暦を迎えながらも、毎日のように人気番組を回しているお笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志と浜田雅功。そんな彼らも「給料制」で働いていた時期があったという。それもみずから選択して…。吉本興業で彼らと同期にあたるハイヒール・モモコが12月19日更新のYouTube「よしもと祇園花月チャンネル」で振り返っている。
ダウンタウンとハイヒールはともに吉本のNSC1期生で、1982年にコンビを結成した。同期には現在も大阪を中心に活躍するトミーズがいるが、ダウンタウンはハイヒールやトミーズらが早くにブレイクしたのに比べ、やや遅れたタイミングで世間から認知されていた。
そんな3組の80年代初期のギャラ事情について、モモコはお笑いコンビ・ニューヨークとのトークの中で、「(前会長・大崎洋氏から)デビューする時に、『ギャラどうしたい?』って聞かれて。ダウンタウンは『オレたちの笑いが(世間に)わかるのはまだ先やから、給料制にしてくれ』って言った」と、みずから歩合ではなく給料制を要請したという。
現在も吉本でトップに君臨し続けるダウンタウンが給料制だったことに驚くニューヨーク。それだけでなく、モモコによると「ボクが“ゴー”って言ったら、歩合に変えてください。きっと笑いがわかるのは、まだちょっとかかるから」とも進言していたそうで、世間に自分たちの笑いが浸透するまでは様子見をしていたようだ。
対して、ダウンタウンよりも早く人気を獲得したトミーズは当然「歩合制にしてくれ」と主張し、ハイヒールは「『私たちギャラとかいらんから、テレビのレギュラーが欲しいです』って。(吉本は)いまだに約束守ってくれてる。確かにレギュラーは途絶えたことがない」と三者三様の考えがあったという。
「当時はまだ“お笑い養成所”というビジネスモデルが存在せず、吉本からしても、NSCの卒業生をどのようにして売り込んでいくかが模索段階だった頃。そんな中、スムーズにテレビのレギュラーを獲得したトミーズやハイヒールとは違い、当時の漫才ブームの潮流に逆行する独自路線を貫いていたダウンタウンのスタイルは売れるのに一定の時間を要しました。また、松本はかつてレギュラーを務めていたラジオ番組『放送室』(TOKYO FM)でも、自身のこれまでのキャリアを山登りに例えながら『ボクは18歳で吉本に入った時から一番面白くて、山の頂上にヘリコプターでポンと乗せられた。それを伝えるための何十年だった』と表現。若き頃より自分がトップに立っていることを認識し、それを世間に“わからせる”ことがキャリアの大部分を占めていたと話しています」(テレビ誌ライター)
90年代に入り、ダウンタウンの人気が全国区に広がり、2000年代の活躍は誰もが知るところ。どのタイミングで歩合制に切り替えたのかは気になるところだが、キャリア全体を見越した巧みな戦略はすでにデビュー初期から計画されていたようだ。
(木村慎吾)