才能は“中田英寿以上“か!伊メディアが振り返る「日本のファンタジスタ」との“惜しい契約”
在籍期間はわずかながら、残したインパクトは確実にイタリア人の記憶に刺さっていたようだ。元日本代表のレフティー。そしてセリエAの古豪ヴェネツィアでプレーした経験のある名波浩氏(現・サッカー日本代表コーチ)に関し、イタリアメディアが四半世紀ぶりにその働きぶりを振り返っている。
現在は豊富な経験を生かし、指導者や解説者として活躍する名波氏。現役時代は技巧派のレフティーで、1995年にJ1・ジュビロ磐田でデビューし、通算4度のJリーグベストイレブンに輝くなど、日本サッカー界のレジェンドの1人として認知されている。
99年夏には、イタリアのACヴェネツィアへレンタル移籍。開幕戦でいきなり味方のゴールをアシストする活躍を見せ、幸先の良いスタートを切るも、以降は出場機会に恵まれず、監督交代やチーム不振の煽りをもろに食らってしまった格好に。
その後、わずか1シーズンのみの在籍で日本に帰ることになった名波氏だが、四半世紀が経過した今、現地メディア「Tutto Venezia Sport」は改めて彼との契約は「完全な失敗だった」としつつ、一定の存在感は残していたと綴っている。
「99年シーズンのセリエAでの戦績は24試合に出場し、奪った得点は1つのみというものでした。が、『Tutto Venezia Sport』は彼を『日本のファンタジスタ』と紹介し、戦前の予想では同じイタリアのローマやパルマで活躍した元日本代表MF中田英寿氏を超える存在として期待していたと説明。また、名波氏のヴェネツィア加入は、直前にチームを去った元ウルグアイ代表のレフティー、アルバロ・レコバの後継者としての意味合いがあったとも振り返っており、当時のクラブ会長が名波氏を『レコバと同等の選手』と語っていたことも紹介しています。レコバは前シーズンにヴェネツィアで11ゴール9アシストという活躍を見せ、降格圏に沈んでいたチームを11位にまで引き上げる貢献を披露。しかし、名波氏の加わった99-00シーズン、ヴェネツィアは16位でセリエBに降格という結末を迎えてしまい、個人としてもチームとしても、最悪の結果となってしまいました。初のイタリアデビューにしては、ミッションが重すぎて、比較対象もとんでもない選手だったことから、名波氏にはかなり酷なプレッシャーがかかっていたと言えますね」(スポーツライター)
名波氏をめぐっては、線の細い体格が、フィジカル重視のイタリアで足かせになったという指摘や、そもそも多くのゴール数を期待されるようなプレイスタイルではなかったと同情する声もある。
Jリーグでは何度も“マジック”を見せつけてきた名波氏だけに、ヴェネツィアへの加入のタイミングや、チーム状況にも恵まれなかったことは悔やまれるところかもしれない。
(木村慎吾)
