「跳べなくなった天才ジャンパー」。復活を願うファンの誰もがその現実から目をそむけたかった。18年の平昌五輪で悲願の金メダルを狙う浅田真央だが、腰やひざの痛みが彼女から笑顔を奪った。新世代が台頭していくなか、「銀盤の女王」に「決断」の時が迫る──。
浅田真央の瞳が潤んだかと思うと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「悔しさもある。ガッカリだったり、ふがいなさだったり‥‥」
16年11月12日、浅田はグランプリシリーズ(GP)第4戦のフランス杯で、自己ベストから55点以上も下回る惨敗を喫した。主要大会で過去最悪の9位という結果に、15年に復帰してから初めて人前で涙を見せた。こらえきれず声を震わせながら、
「すべてがしっくりといってない。自信というのがすべて失われた」
と、苦しい胸の内を報道陣の前で吐き出したのだ。スポーツ紙デスクが話す。
「16-17シリーズは初戦のフィンランディア杯こそ2位発進も、自慢のトリプルアクセルを回避するなど、調整遅れは明らかでした。続くGP初戦のスケートアメリカでも6位と手応えをつかめずにいました。それでも、前日のショートプログラム(SP)で8位と出遅れながら、『次につながります』と真央スマイルを見せてくれていたのですが‥‥」
今シーズンの浅田は、さまざまなイメージチェンジに挑んでいたという。前出のスポーツ紙デスクが続ける。
「GP初戦で6位も、演技構成点は2位でした。佐藤信夫コーチの『僕が言うのもおかしいけど、巧いなって思いながら見ていた』と、ニュースタイルの真央ちゃんに目を細めていました。続く仏杯のSPでも、髪型をポニーテールにして、目の上のアイラインを太く長く引いていた。『氷上のアクトレス』を目指し、赤の衣装も2種類用意するほど気持ちは乗っていたのですが‥‥」
しかし、翌日のフリーは柔らかなリンク状態が持ち味のスピードを奪い、ジャンプミスが相次いだ。スポーツライターが話す。
「トリプルアクセルを封印しても、ジャンプで流れを掴むスタイルだけに演技構成点も伸びない。それが涙の理由ですよ。試合後、『自分で望んで復帰した選手生活なので、もう一度気持ちを奮い立たせていこうと。とにかく全日本でやるしかない。最後の最後まで、自信がつくまでやるだけです』と、自分に言い聞かせるように締めくくっていましたが、かなり左ひざの具合が悪化しているようです」
浅田が報道陣にケガを明かすことは、過去に一度もなかった。
「10月9日、フィンランディア杯から帰国した佐藤コーチが、成田空港で左ひざを痛めていることを明かしました。昨季の世界選手権前に不安を抱えていた左ひざの調子が今季も思わしくなく、密度の濃い練習が積めていない。左ひざはトリプルアクセルの踏み切りで最も負荷のかかる部分であり、いつ致命的なケガにつながるかわからない。そのため浅田は帰国せず、振付師が在住するカナダへ飛び、体に無理のない振り付けに変更することもわかりました」(前出・スポーツライター)