テレビ朝日の情報番組「サンデーLIVE!!」のキャスター姿も板についてきた東山紀之。解散していないため、51歳になった今も「少年隊」の一員だ。85年に錦織一清、植草克秀の3人でデビューし、キャリアは33年。先輩はマッチこと近藤真彦だけとなった。
そんな東山は、きわめてまれなスカウトのされ方をしてジャニーズ入りを果たしている。
「少年隊のメンバーのうち錦織と植草は、事務所に履歴書を送って合格した通常パターンですが、東山はジャニー喜多川社長がみずからスカウトしました。当時ジャニーさんは、川崎麻世のマネジャー。ある日、川崎を乗せた移動車で渋谷のNHKホール付近を走行したとき、交差点で信号待ちをしているヒガシを見つけたんです。その瞬間に稲妻が走ったのか、降車して、声をかけたそうです」(アイドル誌ライター)
東山の家庭環境は決して恵まれてはいなかった。ロシア人の祖父、父親はそろって大酒飲みでギャンブル好き。東山が生後8カ月のとき、祖父が酔ってポットをひっくり返してしまい、両足を大ヤケド。51歳の今でもハードな筋トレを欠かさないのは、このときの負傷のケアのためであるともいう。両親はのちに離婚。母親の職場がNHKの職員専用の理髪店だったため、運命のあの日、交差点に立っていたのだ。
「小学生のとき、アイドル番組『レッツゴーヤング』(NHK)のチケットを、お母さんからもらったので、春休みを利用して友人と観にいったそうです。ジャニーさんから声をかけられたのは、その番組の終了後。クオーターだけあって、白い肌に通った鼻筋。スターの原石をジャニーさんは、見逃さなかったんです」(前出・アイドル誌ライター)
ジャニーさんの数ある名言のひとつに「1枚の写真でその子の10年後が見える」がある。渋谷の交差点で東山を見た瞬間、ジャニーさんはその後の活躍を見透かしていたのかもしれない。
(北村ともこ)