中居正広は幼い頃、決して裕福とは言えない家庭環境だったことを、折に触れてみずから告白している。
3人兄弟の末っ子で、学校で使用する文具品や洋服は決まって兄のお下がり。新品を買ってもらえることは、皆無に等しかった。小学生で大の野球好きになったのは、父である正志さんの影響。父に買ってもらったグローブは、ボロボロになっても使い続けた。SMAPとしてアイドル界の頂点に立ってもなお倹約家だったのは、お金で苦労した親の後ろ姿を見てきたからだ。
5人家族が住んでいたのは、神奈川県藤沢市の借家。家賃は3万8000円で、安価に見合った古さと間取りだった。当時、年に1~2回ペースで布団の訪問販売員がやってきたという。
「中居が小学3、4年生の頃、お父さんはぎっくり腰でした。『腰にいい』と言われた上下マットが欲しかったそうですが、3~4万円と高額。しかも、家賃が4万3000円に値上がりしそうな時期。中居は幼いながらもマットの価格を聞いて、『家賃じゃん』と思ったそうです」(アイドル誌ライター)
家賃が5000円値上がりする時、親が家主に「もう1年待ってください」と泣き言を漏らしたことを覚えている。家族会議のようなものが何度も重ねられ、最終的にはマットセットを購入した。中居は納得できなかった。「そんなの買うなら、靴下とかジャージのズボンを買ってほしいよ」と思った。腑に落ちない理由は、もうひとつあった。
「昭和の家庭でよく見られた、米びつ。「1」のボタンを押すと、ガシャーンと大きな音を立てて1合分の米が出てくるアナログな機械です。中居家にもあって、入れておいた米が減ってくると、台を傾けたり叩いたりして必死。それでも出てこない時は親が、『米がねぇ』とポツリ。中居は、『米もねぇのに、そういうの(マットセット)を買って‥‥』と合点がいかなかったようです」(前出・アイドル誌ライター)
そんな赤貧を乗り越えてつかんだトップアイドルの地位。生活も以前とはくらべものにならないほど豊かになった。父はすでに天国に旅立っている。大のパパっ子である中居は、鏡に映った自分の姿が年々父に似てきたことにニヤリとするという。
(北村ともこ)