ジャニーズのグループ内メンバー格差は、いつの時代にも存在する。如実だったのは、昨年11月に解散したV6。95年のデビュー時は、年長の坂本昌行、長野博、井ノ原快彦が「20th Century」、年少の森田剛、三宅健、岡田准一が「Coming Century」として、2つのユニットとしても活動していた。
そもそもV6誕生のきっかけは、ジャニーズJr.時代にずば抜けた人気だった森田&三宅による「剛健コンビ」を売り出すため。デビュー後も2人の人気と扱いは別格で、20th Centuryは苦杯をなめ続けた。
それを進化させた形で受け継いだのは、昨年デビュー10周年を迎えたKis-My-Ft2。11年8月10日のデビュー当日、東京・恵比寿ガーデンプレイスで開かれたスペシャルイベントで、オープンカーの前方に藤ヶ谷太輔、玉森裕太、北山宏光の3人、後方に宮田俊哉、二階堂高嗣、千賀健永、横尾渉の4人が乗車。この3人と4人の構図は、年々色濃くなっていった。
2ndシングル「We never give up!」のミュージックビデオは、3人がキラキラ衣装。4人は小豆色のシャツ1枚で、イントロでは後ろを向いたまま。
同曲で音楽番組「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)に出演した時は、3人が白い派手な衣装。4人は真っ黒。バックダンサーのジュニアたちはグレー色で、4人はそれより目立たなかった。立ち位置はジュニアたちの後ろ。最後尾だった。
「4人はコンサートでも屈辱的な扱いを受けています。デビュー3年後に開かれたコンサートツアーで、3人は羽がついたキラキラ衣装。4人の衣装には事前に振付師さんが、『羽いらないから、むしれ! 金(色が)多い。黒を出せ、黒』と指示して、目立たないようにしたそうです」(アイドル誌ライター)
そのフラストレーションか、このコンサートで4人は、グループのセールスポイントであるローラースケートを着用したジャンプアクションで、全員が着地に失敗。宮田にいたっては、転倒している。
それが変わったのは13年。先輩の中居正広が4人を「舞祭組」(ぶさいく)と命名して、作詞・作曲、振り付けにMVの企画・監督のすべてをプロデュースしたのだ。司会を務めるバラエティや音楽番組に決まってゲストで招き、ピンでも光るチャンスを与え続けた。
中居に発掘されて、苦境をバネにした4人。今では“前の3人”に負けないくらいの仕事量だ。
キスマイ11年の足跡に中居、舞祭組は欠かせないのだ。
(北村ともこ)