TOKIOの城島茂は、グループとして稼働しているジャニーズタレントの中で最年長。今年11月で47歳になる。小さいころから、学級委員やキャプテンなどになったことがなく、リーダーという肩書きと無縁で生きてきた。しかし、1986年にジャニーズ事務所に入所すると、合宿所に入居した後輩の面倒を見る役割を担った。
二十歳のとき、ランドセルを背負ってやってきたのが12歳の長瀬智也。国分太一、松岡昌宏は中学生だった。
「TOKIOが結成された直後は、マネージャーがいませんでした。そこで、事務所とメンバーの連絡係となったのが最年長のリーダー。撮影やライブで黒い靴が必要だと言われれば、メンバーの足のサイズを聞いて、みずから買いに走ったこともあったそうです。衣装の手配をしたこともあったとか。代わりにやってくれるジャニーズJr.がいなかったことと、スタッフ不足というのが、その理由です」(アイドル誌ライター)
当時の城島はジャニー喜多川社長から「TOKIOになんかあったら、おまえの責任だ」とプレッシャーをかけられていた。現場マネージャーがついたのは、CDデビューが決定してからだった。
TOKIOは最年長の城島が連絡係になったが、SMAPは最年少でまだ小学生だった香取慎吾がその役を任されていたという。
「当時の香取は小5。中・高校生だった年上メンバーの自宅に電話をかけていたんです。逆にメンバーからかかってきて、翌日の集合場所や時間、用意するものなどを聞かれることもあったそう。覚えられないと困るので、慎吾くんは電話で話す内容を録音しておくという用意周到ぶり。しっかり者だったんですね」(前出・アイドル誌ライター)
大事な役割をなぜ子供の香取が担っていたのかは不明。だが、気づけば事務所スタッフがいちばん最初にスケジュールを伝えるのが香取になっていた。
時代を築いたSMAPが最年少、今なお全力疾走中のTOKIOは最年長が大役を任されたのは、なぜなのだろうか。
(北村ともこ)