ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が7月9日、くも膜下出血のため亡くなった。独自の言葉遣いと驚くような行動で、育てたアイドル以上に多くの伝説を作ってきたジャニー氏。敬語が嫌いというのも、伝説のひとつだ。
ジャニー氏が敬語を嫌うのは、「子どもは子どもらしく」のポリシーがあるからだという。孫ほどの年齢差がある所属タレントからタメ口で話されるのも厭わない。だが、その中でもTOKIO・松岡昌宏だけは別格と言われている。
「松岡はジャニーズ事務所への入所前から、生意気でした。小学生6年生のとき、『8人目の光GENJIになれる』と思い、自分で履歴書を書いて送った変わりダネです。オーディションを受けたのは、中学1年生のとき。会場で、机や椅子を並べ、部屋を掃除し、子どもたちにジュースを配っていた作業服のおじさんを目撃しました。そのおじさんこそが、ジャニー社長。その日、みんなの前に立って、『私が社長のジャニーです』と自己紹介したそうです」(アイドル誌ライター)
「ジャニーさんを清掃のおじちゃんだと思っていた」というのは、これまでにジャニーズタレントが幾度となく明かしてきた実話。ところが、松岡の場合はここから先が違う。世間知らずで、まだ自信の塊のような年頃だったため、ジャニー氏に言い返すという大胆な行動に出ている。
「オーディションでジャニーさんから『何か歌える?』と聞かれた松岡は、とっさにTHE BLUE HEARTSのロックを歌ったそうです。『あとで連絡します』と言われた翌日、本当に電話がかかってきて、『YOUがいいと思った」と“告白”されました。本来なら有頂天になるところですが、松岡は違った。『YOUって誰ですか?』と聞き返したのです。『僕はみんなにYOUって言うんだよ』と返されると、『僕は松岡だから、YOUはやめてください』と主張したのです」(前出・アイドル誌ライター)
オーディションでは足を組み、受け答えは「はい」ではなく、「あー」。ところが、この悪態が、逆にジャニー氏の心に刺さった。「レッスンを受けて」と言われても、「レッスンはいいから、光GENJIに入れてください」と返したという。
入所およそ10年後にはジャニー社長から「YOUを入れたのは僕の最大の汚点だよ」と返された松岡。今となっては、この賛辞の言葉もいい思い出だろう。
(北村ともこ)