23歳のときに出演した映画「硫黄島からの手紙」で、ジャニーズタレント初のハリウッド進出をはたした嵐・二宮和也。クリント・イーストウッド監督の同作が上映された06年から、山田洋次監督の映画「母と暮せば」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞する16年までのあいだ、俳優としての実績を着実に積み重ねてきた。
07年には、自閉症のフルマラソンランナーを演じた主演ドラマ「マラソン」(TBS系)が「第62回文化庁芸術祭」テレビ部門・放送個人賞を受賞。俳優が同賞を受賞するのは初となる快挙だった。
今でこそ演技力が高く評価されている二宮だが、芸能界デビューした14歳から20代前半にかけては、オーディションを受けては落ちるの連続だった。そんなか、ニノには忘れられない出来事があるという。
あるオーディション会場でのこと。「二宮です、ジャニーズ事務所から来ました。お願いします」と挨拶をすると、プロデューサーとおぼしき人が「おい、おい」と訝しげな表情を浮かべた。「はい?」と返すと、「君、条件、わかってる?」とプロデューサー。なんとこのオーディションは身長140センチ以下であることが条件だった。二宮はこの時、すでに中学生。
幼いころから二宮は、小柄な体格ではあった。しかし、その日のオーディション会場にいた少年たちはみな、二宮の肩あたりの身長。本物の小学生ばかり。小学校を舞台にしたドラマ「学校の怪談」(フジテレビ系)のオーディションだったのだ。
「『学校の怪談』は、映画とテレビドラマのシリーズが95年から大人気。学校のなかで起こる怪奇現象や都市伝説を映像化し、怪談ブームの先駆けとなりました。同年にはブームに乗って『木曜の怪談』(フジテレビ系)がスタート。滝沢秀明と今井翼が『怪奇倶楽部』という作品で俳優デビュー。2人に、タレントの川野直輝を加えた3人は『怪談トリオ』と呼ばれ、ジュニア黄金期の幕開けとなりました」(芸能ライター)
怪談シリーズからは、多くの子役がデビューした。当時はスターへの登竜門だっただけに、ジャニーズ関係者が二宮を滑り込ませようと無茶な挑戦をさせたのかもしれない。
結局、二宮は怪談ブームに乗ることなく、自分の腕ではい上がり、チャンスをつかんだ。時間はかかったが、結果を見れば正解だったのかもしれない。
(北村ともこ)