ビートたけしと言えば、映画監督としても数々の賞を受賞し、「世界のキタノ」と呼ばれるまでになった、いまや芸能界を代表する大御所。1980年からの漫才ブームで世にその名が知られるようになってからは飛ぶ鳥を落とす勢い、本人の毒舌キャラも相まって、後ろ向きな考えなど欠片もなかったのではと勝手に想像していたが、実はそうでもなかったようだ。
意外な真実が明かされたのは、芸能事務所・生島企画室が運営するYouTubeチャンネル「生島企画室チャンネル【公式】」の10月16日投稿〈【せんだみつお】せんだみつお的しくじり先生!せんだの絶頂期、彼は何を思っていたのか?せんだみつおを通してあなたも人生を見つめ直してみませんか?〉。明かしているのは1970年代に「ナハナハ」のギャグで一世を風靡したコメディアン・せんだみつおだ。
1970年代に大人気を博した情報バラエティ「ぎんざNOW!」(TBS、72年~)、「金曜10時!うわさのチャンネル!!」(日本テレビ系、73年~)といった番組にレギュラーを抱えていたせんだ。我が世の春とばかりに、永遠にこの状況が続くのではないかと当時は若気の至りで勘違いしていたという。ところが、ビートたけしは若い頃から考え方が違っていたというのだ。
話は、86年スタートの視聴者参加型バラエティ「風雲!たけし城」(TBS系)の開始当初まで遡る。「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)が大ヒット、まさに天下を獲らんとしていたその頃、たけしは「せんださん、俺あと10年もちますかね?」と神妙に口にしたというのだ。当時は「せんださん」、今は「せんちゃん」と呼び方が変わっているともせんだは明かし、「もちすぎですよね」とスタジオの笑いを誘うのだった。
爆発的に売れても決して天狗にならず、日々の葛藤と向き合った結果が「世界のキタノ」を生み出したのだとすると、自らを客観視できる思慮深さとたゆまぬ努力には頭の下がる思いである。
(ユーチューブライター・所ひで)