得意分野を仕事に活かし、広げていくことでタレント生命は伸びる。三宅健の場合、それにあたるのは手話だ。14年から、“手話学習中のお客”という立ち位置で「みんなの手話」(NHK Eテレ)にレギュラー出演。東京五輪では、障がいがある人も楽しめるユニバーサル放送でメインパーソナリティを務めた。
「みんなの手話」は開始から9年目に突入し、昨年から新たな仲間が加わった。「手話とおしゃべりを愛する看板ドラゴン」こと、ピンク色のぬいぐるみのシュドラだ。声を務めているのは黒柳徹子。ジャニーズタレントとの交流は40年以上。三宅のことは、ジャニーズJr.時代から知っている。手話にまつわる活動も40年以上のため、ボイスキャストに選ばれた。
2人の思い出も多い。子どもが「あめ玉ください」と言うと、たまねぎヘアの中から取り出してもらえるという話を聞いていた三宅は、「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した際に“仕掛けた”。「僕はおじさんだからもらえないですか?」と遠慮ぎみにおうかがいを立てると、「あなたは純粋そうだから、あげるわ」と返されたが、その日は“仕込んで”いなかった。
「後日、『みんなの手話』を収録した時に約束を守ってくれたのです。覚えていた黒柳が、わざわざあめ玉を持参したことがすごい。もらった三宅は、食べずに大切に保管しているとか」(週刊誌記者)
2人を繋いだ“あめトーーク”。黒柳にとって三宅は、手話への造詣が深い数少ないジャニーズタレント。東京五輪にまで携わったホンモノとあって、共感できる部分が多いようだ。
そもそも、三宅が手話を始めたきっかけは、05年に行われたV6のデビュー10周年記念の握手会。「いつも応援してます」「好きです」「明日もコンサート頑張ってください」など、秒速でファンからの応援コメントを受けたなか、ある女の子から手話で話しかけられた。唐突だったためうまく返せず、ずっと心にひっかかっていた。
やがて、渋谷区が開催していた手話講習会に週2ペースで通うようになり、およそ3年間も続けた。次は都の試験を受けられるタイミングでタレント活動が多忙になり、通うことを断念。そんな矢先、「みんなの手話」からオファーがあり、再び手話と向きあった。
三宅の発案によって、V6のコンサート映像には歌詞だけではなく、メンバーのMCや特典映像にいたるすべてに字幕スーパーがついていた。そんな心づかいも、V6が昨年11月の解散までおよそ26年間も支持された理由といえよう。
黒柳も骨抜きにされて当然か。
(北村ともこ)