悪くはないんだけど、これを観たいわけじゃないんだよな…。そんな声があちこちから聞こえてくるようだ。
4月11日放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」第7回では、学問所・名教館になじめない主人公の槙野万太郎(小林優仁)が、学頭の池田蘭光(寺脇康文)から授けられた「今こそ(時代が)変わるときなんじゃ」という言葉に刺激を受ける姿が描かれた。
池田はまだ自分の正体を明かしておらず、万太郎は池田のことを学頭ではなく名教館の雑用係程度に思っている様子。それでも9歳の若さゆえ旧来のしきたりに囚われていない万太郎は、正体の知れない男の言葉に刺激を受ける柔軟さを示していた。
今回のラストシーンでは名教館の門へと昇る石段の下で、付き人の竹雄(南出凌嘉)に「一人で行く」と告げた万太郎。その言葉通り、一人で石段を登っていく背中からは、万太郎の決意が見て取れたものだ。
「このシーンで印象的だったのは被写界深度の浅さです。万太郎など人物にのみピントが合っており、背景の石段や石垣はピンボケに。まるで映画のような撮影手法には、視聴者から《大河ドラマを観ているみたい》《朝にやってる大河ドラマだ》といった声が続出していました」(テレビ誌ライター)
同様の撮影手法は別のシーンにも表れていた。万太郎が当主を務める造り酒屋の峰屋では、祖母のタキ(松坂慶子)が実質的な当主代理を務めており、先祖代々伝わる「當主心得」を模写する場面が。その心得がアップになると、手前だけにピントが合い、奥側はピンボケで読みづらくなっていたのである。
名教館を早退したことでタキから晩飯抜きの罰を受けた万太郎に、姉の綾が握り飯をもってきた場面も、深みのある画となっていた。暗い部屋にもかかわらず万太郎や綾の顔はしっかりと見えており、これまた映画チックというか、大河ドラマ的な画作りになっていたのである。どうやら本作では画作りに相当なこだわりを持っているようだ。
「現代劇の多い朝ドラでは、舞台設定が古い場合でもせいぜい明治後期から大正までの作品がほとんど。『らんまん』のように幕末期からスタートする作品は2015年度下期の『あさが来た』以来、15作ぶりとなります。それもあってか、絵作りのテイストを大河ドラマに寄せているようですね。とくに今回の第7回に関しては、大河ドラマの1エピソードだと言われてもまったく違和感がなかったのではないでしょうか」(前出・テレビ誌ライター)
そういった作風は、幕末から明治初期の時代を描いている「らんまん」にはぴったりかもしれない。だがそのこだわりが一方では、朝ドラファンの混乱を招いているというのである。
「本作が第108作目となる朝ドラでは、視聴者も“朝ドラらしさ”を期待してしまうもの。ここ2作品の『ちむどんどん』と『舞いあがれ!』はファンから駄作と切り捨てられていたものの、朝ドラらしさからは逸脱していませんでした。ところが今回の『らんまん』については、作品の良し悪しを論ずる以前の段階として、朝ドラらしさの欠如が目につきます。朝にはやはり、朝ドラを観たい。そんな視聴者は内容のいかんを問わず『らんまん』の作風や画作りについていけなくなるかもしれません」(前出・テレビ誌ライター)
ツイッターで寄せられる<大河ドラマっぽい>という感想が、決して誉め言葉とは限らない。それを制作側はしっかりと受け止めるべきなのかもしれない。