8月31日に放送されたNHK朝ドラ「らんまん」第109話で、渋谷がまだ「田舎」だった頃についての描写があった。
主人公・槙野万太郎(神木隆之介)の妻・寿恵子(浜辺美波)はこの日、勤めている料亭「巳佐登」の女将で叔母のみえ(宮澤エマ)から、空き家を買い取って、そこで商売をしないかと持ちかけられたのだ。
「場所は渋谷。みえは『すんごい田舎なんだけど』と語っていますが、当時の渋谷はその通り、田畑しかないような場所。渋谷駅自体は明治18(1885)年に開業していますが、この渋谷が大きな街に発展したのは、隣の代々木に陸軍の練兵場ができてから。そして現在の井の頭線・神泉駅のあたりは花街として発展していくことになるのです」(歴史雑誌ライター)
そこで、寿恵子が「すんごい田舎」呼ばわりした渋谷が現在のような東京屈指の繁華街となるまでの歴史を今こそ振り返っておきたい。
まず、練兵場のあった、現在の渋谷区役所・NHK放送センターから代々木公園にかけての一帯は、江戸時代には大名の下屋敷が置かれていた。明治維新後は民間に払い下げられ、畑として利用されていたが、この広大な土地に目をつけたのが陸軍。練兵場や陸軍刑務所が置かれたのだ。昭和11年に起きた二・二六事件の首謀者らが処刑されたのは、この刑務所である。
日本が太平洋戦争に敗れると、この地域を接収したGHQが、進駐軍の兵士やその家族が居住する「ワシントンハイツ」を建設。その後昭和39年の東京五輪の競技用地(代々木競技場)・選手村として利用するため日本に返還され、五輪後には代々木公園、渋谷区役所やNHKとなったのである。
また、寿恵子が買い取りの話を持ちかけられた渋谷の「神泉」のあたりは、「弘法湯」という江戸時代から続く共同浴場があったが、明治に入ると風呂屋になり、やがて旅館や料亭、芸妓屋が増え「花街・円山町」として発展。近隣に施設がある陸軍が客としてお金を落としたことが大きかったのだろう。
現在はクラブ街として若者が集う円山町だが、その一方でカップル用のホテルが林立しているのは、こうした花街の名残とも言えるのだ。
このように、現在の渋谷の賑わいには、明治時代にできた練兵場や花街の発展の歴史が大きな意味を持っていたのである。
「渋谷駅の利用客数は約334万人(2018年度)で、新宿に次いで世界2位の規模を誇っています。ビジネス、ショッピング、レジャーや学校など、多くの人間が集まる大きな街になったわけですが、ここが『大きく動く』と予想した岩崎弥之助(皆川猿時)の眼力はさすがだったということですね」(テレビ誌ライター)
神泉に待合茶屋を作ることを勧められた寿恵子は、果たしてどんな決断をするのであろうか。
(石見剣)