これも歴史の面白さではないだろうか。
8月31日放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」第109回では、寿恵子(浜辺美波)が岩崎弥之助(皆川猿時)の紹介により、渋谷に待合茶屋の店を開店することになった。その店になんと、ジャニーズ事務所との繫がりを指摘する声があるという。
主人公の万太郎(神木隆之介)は植物学者としては有能ながら生活能力に欠けており、槙野家の家計は火の車。妻の寿恵子は叔母のみえ(宮澤エマ)が営む新橋の料亭・巳佐登で仲居として働くようになっていた。
生まれ持っての器量の良さから人気の仲居となっていた寿恵子。巳佐登の常連で土佐出身の弥之助は、万太郎が同じ土佐の出身であることに親近感を抱いたのか、知り合いが渋谷に持っている家を安く譲ると申し出ていた。
「当時の渋谷は寿恵子が『知らないですね』というほど辺境の地。明治29年にはすでに渋谷駅もありましたが、当時は東京市内ではなく南豊島郡(同年には豊多摩郡に移行)の渋谷村でした。唱歌『春の小川』は現在の渋谷区内を流れる河骨川の景色を歌ったもので、メダカやフナが泳ぐ清流だったほどの田舎。東京大学にほど近い根津に住む寿恵子にしてみれば、現在の八王子よりも郊外の印象だったことでしょう」(都内の地理に詳しいライター)
その渋谷には作中でも説明されていたように、陸軍の練兵場が移転してくることに。現在の代々木公園からLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)付近に広がっており、寿恵子が家を買う荒木山(現在の円山町付近)からは数百メートルほどの近さだった。
そんな寿恵子の店がなぜ、ジャニーズ事務所と関係しているのか。それは陸軍の練兵場がその後にたどった歴史を見れば明らかだというのだ。
陸軍練兵場は第二次世界大戦後、GHQに接収され、米軍向けの住宅地区である「ワシントンハイツ」へと姿を変えていた。同地区には800戸以上の住宅に加えて学校や教会もあり、地区内でアメリカ流の生活が完結できるように設計。アメリカらしく、野球のグラウンドまで完備されていたのである。
「そのグラウンドでは近所の子供たちを集めた野球チームが練習しており、若き米大使館職員がコーチを務めていました。彼の名前はジョン・ヒロム・キタガワ。チーム名は彼の愛称から『ジャニーズ少年野球団』と名付けられました。そのチームから選抜した少年4人で昭和37年に結成されたグループが初代・ジャニーズ。今に続くジャニーズ事務所の原点なのです」(芸能ライター)
のちにジャニー喜多川氏として知られることになるキタガワ氏は、同年にジャニーズ事務所を創業。昭和40年には正式に事務所を構えることとなった。もしワシントンハイツがなかったら、ジャニーズ事務所が生まれることもなかったに違いない。
寿恵子が渋谷に待合茶屋を開いていた当時、まさか陸軍練兵場がアメリカ軍に接収されるとはもちろんのこと、そこから大手芸能事務所が生まれるなど、思いもよらなかったことだろう。ただ待合茶屋と芸事は切っても切れない関係。今も昔も渋谷は、芸能の一大発信地なようだ。