「M-1グランプリ」では時として、審査員のコメントや付けた点数が、演者のネタ以上に注目されることがある。漫才を評価する審査員が、視聴者からそれ以上に厳しく審査されているといっても過言ではない。
22年と23年大会で、世間からジャッジされたのは山田邦子だった。上沼恵美子とオール巨人の勇退によって白羽の矢が立ったのだが、注目された初ジャッジで、トップバッターのカベポスターに対してつけた点数は「84点」。稀に見る低さでスタジオ関係者・視聴者をざわつかせ、2組目の真空ジェシカには「95点」で軌道修正。このいきなりの‟11点差”で良くも悪くも、マークされる存在となった。
なぜ彼女が審査員に選ばれたのか、30代以下の層には首をかしげる人もいるが、じつは山田邦子こそお笑いシーンで最も稼いだ女性ピン芸人なのである。「天下を獲った女芸人」と形容されることも多い。
デビューは1981年、男性主体のお笑い界に20代前半の若さで単身乗り込んできた。ピーク時には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のテレビCMに出演。お笑い芸人、女優、歌手、小説家、司会者ほか、マルチタレントとして大成した女性初の芸人だ。NHKが調査した「好きなタレント」では、8年連続で女性部門1位を獲得した。
「当時の月収は1億円だったと、本人が方々で話しています。所属していた太田プロダクションでは、昔は現ナマで給料を手渡ししていたのですが、山田さんは万札が詰め込まれたデパートの紙袋が、何袋にもなっていたとか。ビートたけしさんのお弟子さん(当時のたけし軍団)たちを引き連れて、ごはんとと吉原での遊び代を大盤振る舞いしたのは有名な話」(ベテラン芸能記者)
だが、好事魔多し。山田が29歳のときに、家族が節税対策で会社を設立。億単位で不動産投資をして、借入額が22億円になった。山田1人が馬車馬のように働いて、2年で完済。さらに、既婚者のテレビプロデューサーとの不倫が写真週刊誌にスッパ抜かれて、かつての好感度女王は一転してバッシングの的となった。そうしてテレビの世界から干された後、2007年に乳がんが発覚。病気を克服した後はその経験を生かして早期発見の啓蒙や講演活動などを行っている。
「19年に太田プロを辞めて独立しましたが、山田さんの長唄の公演に事務所スタッフが誰も来なかったことに腹を立てたからと報じられ、後味の悪さを残しました」(前出・ベテラン記者)
ここ数年、浅草の演芸場でネタを披露し続けており、そんな姿がM-1関係者の目に留まり、審査員を任されることになった。月収1億から借金22億への大波乱人生を知らないZ世代にも、M-1特需で受け入れられつつあるようだ。
(北村ともこ)