2016年12月31日、SMAPが解散する。結成から28年にわたって男性アイドルのトップを駆け抜けてきた彼らがどんな歴史を歩んできたのか。決して語られることのなかったSMAPヒストリーを明かす。
今やトップアイドルとなったSMAPだが、デビュー直後は順風満帆とは程遠い状態だった。彼らのデビュー曲は、それまでのジャニーズアイドルが打ち立ててきた「初登場1位」という記録に続くことができず、日本の景気が後退したことで音楽番組は相次いで終了。アイドル氷河期を迎えていた。
「そんな中、SMAPとマネジャーのI女史がとった策は『バラエティへの進出』です。それまでのアイドルが絶対にやらないようなことまでやりました」(アイドル誌ライター)
テレビのバラエティ番組に積極的に出演し、まるでお笑い芸人さながらの爆破どっきりや罰ゲームに挑んだこともある。
「ある番組の企画で、ジェットコースターに乗ることになったそうです。ところが怖がりの稲垣吾郎は断固拒否。すると中居は控室で『チャンスなんだ。これをきっかけに頑張っていかないと!』と拳を振るって稲垣を説得したそうです。それほど彼らがバラエティ進出に賭けていたという証でしょう」(前出・アイドル誌ライター)
努力は実を結び、SMAPはスターダムへとのし上がる。彼らが日本一になったことを証明するようなエピソードがある。大みそか恒例の「NHK紅白歌合戦」に23回出場し、そのうち7回で瞬間最高視聴率を獲得。初出場の92年にトップバッターを務め、03年には大トリを飾った。
「長い紅白の歴史の中で、トップとメインの両方を飾っているのはSMAPだけなんです。これがいかにすごい記録かわかっていただけるでしょうか」(テレビ誌ライター)
栄光に包まれた彼らも、決してつまずくことなかったわけではない。森且行の離脱、稲垣と草なぎの逮捕。そんな逆境をメンバーたちはいかにして乗り越えてきたのか‥‥。12月31日に「セブンイレブン」限定ムックとして発売された「Asa‐Jo Premium(アサジョプレミアム)」では「6人の絆」で築いたSMAPヒストリーを特集している。国民的人気アイドルの「伝説」を振り返りながら思いを馳せてみてはどうか。