創価学会・池田大作名誉会長(享年95)の命日にあたる11月15日、遠く離れたイタリアから追悼の言葉を綴ったのは、元同国代表フットボーラーのロベルト・バッジョ氏である。
バッジョ氏は1967年生まれの57歳で、90年のイタリアW杯から98年のフランスW杯まで、国際舞台でも異彩を放った不世出のファンタジスタだ。一方で、ケガとプレッシャーに悩まされたキャリアでもあり、信仰によって辛い日々を乗り越えることができたと明かしたことがある。
そして、15日、バッジョ氏は今年2月より開設していたインスタグラムを更新し、大作氏と並んで写る2枚のモノクロ写真を公開した。そこにはイタリアサッカー界を一手に背負ってきた男の緊張感に満ちた顔ではなく、リラックスした柔らかい笑みをこぼすバッジョ氏の姿がある。
また、天国の池田氏へのメッセージとして、「苦しみや悲しみを感じる瞬間、あるいは心を刺されるような日々もある。そんな時には、是非、私の心のドアをノックしてみてください。私の人生と心は、いつもあなたのために開かれています。この耳はいつ、どんなことでも聞くことができる。この瞳にも、あなたと一緒に泣くために沢山の涙が溜まっています。楽しいときは何も言わなくてもいい。あなたの顔を見れば分かります」「あなたの苦しみの半分は私が背負っています。共に前へ進んでいきましょう。私たちの友情が続く限り、これが2人の道です」などと綴った。
最後は「池田大作 私の愛するマスター あなたが私たちに教えてくれたことの全てを永遠に感謝します」と締め括り、敬愛する師へ言葉を届けている。
「バッジョ氏といえば、キャリア絶頂期といえる27歳で臨んだ、94年アメリカW杯における“悲劇”が最も有名なエピソードです。あと1勝で母国にW杯制覇のトロフィーをもたらすことができるブラジル代表との決勝戦。試合は0-0のままPK戦へと突入し、2-3とブラジルにリードされて迎えた5人目のキッカーは、バッジョ氏が任されることになりました。“外せば、即敗北が決定”という重圧の中、イタリア、いや世界でもトップクラスのキック精度を誇っていたはずのバッジョ氏のシュートは、クロスバーのはるか上空へと流れてしまい、その瞬間、W杯トロフィーは同氏の手元から離れていきました。バッジョ氏の栄光のキャリアに残る深い傷となってしまったこのPKミスでしたが、のちにバッジョ氏は『PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ』という名言を世に放っています」(スポーツライター)
日本のXでは、サッカー界のスーパースターがインスタグラムから池田氏との写真をメッセージとともに公開したことに対し、「そういえばそうだったね…」「これはぶったまげた」「バッジョと池田大作が並ぶ写真が見れるとは…」などと驚く反応も多い。
尋常ではないプレッシャーと闘い続けた男には、常に救いの存在が必要不可欠だったということだろう。
(木村慎吾)