オイラが生まれ育った東京・足立区の歴史をひも解くと、必ず名前が挙がるのが“お化け煙突”だ。お化けと言っても心霊や妖怪の類ではない。
正しくは千住火力発電所の煙突で1926年に完成した。高さ約84メートル。4本の煙突がひし形に配置されたため、見る場所により煙突が重なって、2本に見えたり、3本に見えたりと本数が違って見えた。それゆえに“お化け煙突”と呼ばれた。
今は亡き近所のお婆さんが「煙突2本で何時になんて“密会”の約束をしたものよ」とケタケタ笑いながら教えてくれたのをよく憶えている。
お化け煙突はレンガ製で昭和30年代に周囲を鋼板で補強。1963年まで稼働し、翌年に解体された。オイラが生まれる前なので、実物を見たことはないが、発電所跡地の近くにモニュメントがある。今回、改めて足を運んでみた。
JR常磐線、東京メトロなど鉄道4社が乗り入れる北千住駅西口を出発。駅前通りを進み、国道4号、墨堤通りを渡る。千寿桜小学校の脇を入り、隅田川東岸の遊歩道を上がったら、上流の尾竹橋を目指す。
ほどなく右側に東京電力関係会社の資材置場が見えてくる。お化け煙突はこの辺に建っていた。
目的のモニュメントは、少し先の帝京科学大学千住キャンパス本館前にある。煙突を輪切りにしたような円形で、上半分はお化け煙突の鋼板が使われている。鋼板の変遷もおもしろく、大学の敷地には2005年まで小学校があり、なんと! 校庭の滑り台に再利用されていた。古い写真を見るとかなりの急傾斜で、スリル満点だったに違いない。モニュメント近くには煙突の模型もあり、本数が違って見えることが体感できた。
大学の脇を通り、墨堤通りに出ると「旧千住四本煙突守護社」の標柱が立つ元宿堰稲荷神社があった。境内の掃除をしていた氏子さんに声をかけられ、拝殿内を見せてもらうと御祭神を祀る本殿は珍しいレンガ造りだった。かつて足立区ではレンガ造りに適した粘土質の土壌と水運の利点からレンガが盛んに造られ、明治期にはレンガ工場が15カ所もあったそうだ。
参拝後、往路と違うコースで北千住駅に向かう。何気なしに千住公園の水遊び場を見ると4本の柱が立っている。そういえば、千寿桜小学校近くの千住桜木町公園にも4本柱の登り棒があったな。どちらもお化け煙突がモチーフか?頭をひねりつつ先に進んだ。
内田晃(うちだ・あきら):自転車での日本一周を機に旅行記者を志す。街道、古道、巡礼道、路地裏など〝歩き取材〟を得意とする。