プロレス好きの女子のことを、“プ女子”と呼び、今注目を集める存在だ。だが、そんな造語ができる前から大のプロレスファンだったのが、タッキー&翼の滝沢秀明だ。
子どもの頃は、大仁田厚率いるFMWの追っかけをしており、かつて「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」(テレビ朝日系)で、“音を聞くだけで電流爆破デスマッチを当てる”という超難問を見事クリアしたこともあるマニアックさだ。
「彼は、そのFMWに所属していたマスクマンのハヤブサ(故人)に憧れており、みずから“ハイキックソルジャー”というリングネームを名乗ったこともありました。将来は、プロレス団体を創りたいと本気で思ったこともあり、マスク、タイツ、リングシューズまで描いていたそうです」(アイドル誌編集者)
そんな滝沢にとって、一世一代の晴れ舞台となったのが2000年3月11日、横浜アリーナで開催された「第2回メモリアル力道山」というプロレスのビッグイベントだ。多くのプロレス団体が集結したビッグイベントで、アントニオ猪木vs滝沢という夢カードが実現した。会場で観戦していた、先の雑誌編集者は続ける。
「猪木はすでに現役を引退していたのですが、タッキーのためにこの日復帰。57歳の猪木が17歳のタッキーに胸を貸す形で、シングルで激突したんです。レフェリーはあの藤原組長。会場に黄色い声援が飛び交うなかアリキック連打、エルボードロップからフォール、組長の高速カウントのアシストもあり、タッキーが勝ちました」
コンサートでは獣神サンダー・ライガーのマスクをかぶったり、大仁田のリングコスチュームである「邪道」皮ジャンを着用したことも。それだけに、ハヤブサが2016年3月3日、クモ膜下出血により死去した際は、かなり落ち込んだという。
その悲しみを乗り越え“プ男子・滝沢”が、再びリングに降臨する日はやって来るだろうか。
(北村ともこ)