現在、稼働しているジャニーズのグループの中で長兄にあたるTOKIO。昨年11月にパパになった国分太一は「白熱ライブ ビビット」(TBS系)、「国分太一のおさんぽジャパン」(フジテレビ系)という平日帯番組、「たけしのニッポンのミカタ!」「男子ごはん」(ともにテレビ東京系)でのソロレギュラー、さらに『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)、『TOKIOカケル』(フジテレビ系)などに出演中。42歳の今、ジャニーズNO1のメディア出演を誇っている。
ところが、10代は不遇続きだったという。アイドル事情に詳しいネットマガジン発行人に話を聞いた。
「国分が入所したのは13歳。のちにSMAPの一員として、光GENJIのバックダンサーになりました。SMAPといっても、ピンチヒッター。メンバーの誰かが学校行事を優先して、芸能活動をお休みしたときだけ呼ばれたんです。V6の坂本昌行も、そんな扱いでした」
その後、国分と坂本は1988年に、TOKIO・城島茂、山口達也、V6・長野博、井ノ原快彦とともに平家派を結成。デビュー間近と期待されたが、ほどなく解体している。
「仕事がなくなってからの国分は、アイドルと付き人の2足のワラジをはいていました」と、先のネットマガジン発行人は続ける。どういうことか。
「15歳のときにTOKIOが誕生して、城島と松岡昌宏の3人で、中村繁之の主演ミュージカルに出演しました。でも、舞台が終わると再びスケジュールが真っ白に。その状態が1カ月も続いたので、国分はスタッフの薦めで中村の付き人になったんです。20日間ほどで終わったそうですが、TOKIOを続けながらの裏方はキツかったはずです」
現場スタッフから「えらいな」「将来、絶対役立つからな」と励まされ、中村も応援してくれた。その経験が糧になり、20歳でようやく歌手デビュー。23年たった今は、稼ぎ頭になっている。42歳の遅咲きのアイドルは今後も息の長い活躍を見せてくれるに違いない。
(北村ともこ)