SMAPが解散して、まもなく1年が経つ。ジャニーズ事務所に残った木村拓哉と中居正広は“生みの親”ジャニー喜多川社長のもとで、退所した稲垣吾郎、香取慎吾、草なぎ剛は元マネージャーのI女史のもとで活動している。
I女史は四半世紀以上、20代から50代にわたってSMAPと共に歩んできた。歌謡曲が衰退した1990年代前半に、ザ・ドリフターズのようなアイドルを育てるために、SMAPをバラエティ業界に進出させた。
「確かにIさんは、元SMAP全員から絶大な信頼を得ていました。けれども、彼らが大ブレイクする足掛かりとなった1992年開始の『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)のレギュラーになれたのは、ジャニーさんのおかげなんです。当時のフジテレビは、番組制作に膨大な時間とお金をかけており、夢MORIは月曜がリハ、火・水曜が収録、金曜が反省会で、週に4日も割いていました。当時の番組ディレクターが明かしたところによると、SMAP起用のきっかけは『スケジュールが白紙』で『ジャニーさんに頼まれたから』だったそうです」(アイドル誌記者)
同番組で予想以上の爆発力を見せたことによって、ディレクターは中居、草なぎ、香取を「笑っていいとも!」(フジテレビ系)に推薦。3人は番組終了の2014年まで、いいともファミリーとして活躍した。ちなみに、同ディレクターはプロデューサーとなって「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)をおばけ番組に導いている。
「夢MORIでは10代の6人(当時)がカツラをかぶって女装したり、泥まみれになったり、顔面にパイをぶつけられたり。『おそ松くん』のパロディ『音松くん』をやった時は、中居を青、木村を赤、稲垣をピンク、森且行を白、香取を緑、草なぎを黄色のイメージカラーで分けて、現在のももいろクローバーZのような覚えられ方も試しました。そんなチャレンジが功を奏したのか、93年12月には深夜枠で19.4%という驚異的な視聴率をマークしています」(前出・アイドル誌記者)
飛ぶ鳥を落とす勢いだったフジと、向かうところ敵なしのSMAP。その背景には、ジャニーさんの大プッシュがあったのだ。
(北村ともこ)