最終回は2時間スペシャルでオンエアされたKAT-TUN・亀梨和也の主演ドラマ「FINAL CUT」(フジテレビ系)。亀梨は、メディアによって殺された母の復しゅうを果たす、ウェブサイトの管理人&警察官を好演した。KAT-TUNメンバーのなかで、もっとも芝居とCMの出演本数が多い亀梨だが、人気になる前にとんでもない記録を打ち立てている。
「3時間にもおよぶ舞台の主役に、まだジャニーズJr.だったころに抜てきされました。ジャニー喜多川社長が作・構成・演出を担当している『DREAM BOYS』の04年度版です。Jr.から売れっ子までが一堂に会することで有名な『ドリボ』ですが、この年は滝沢秀明が21歳で、帝国劇場史上最年少座長を務めました。東京公演が終わった後の5月の大阪公演は、滝沢がタッキー&翼のコンサートツアーと重なったため、5月1日からの7日間、主役がシークレットのままチケットが販売されたんです。その役をゲットしたのが、亀梨だったというわけです」(エンタメ誌ライター)
当時、亀梨と元KAT-TUNの赤西仁の2人は圧倒的な人気を誇っていた。互いに尖っていたこともあり、しょっちゅうケンカ。そんな状況下で、KAT-TUN最年少の亀梨が座長になり、先輩を差し置いて、個室の楽屋が与えられた。
「このころのJr.は『東のタッキー、西のすばる』と言われ、関東の滝沢に対して、関西は渋谷すばる(関ジャニ∞)が注目株。そのため、大阪公演はすばるが主役だという噂が出回ったんです。それだけに、バリバリの東京人である亀梨の抜てきは、意外で異例でした。ちなみにこの公演のとき、亀梨は主演と呼ばれず“代役”という立場でした」(前出・エンタメ誌ライター)
翌05年、亀梨が正式に“初座長”を務めて、『Hey!Say!Dream Boy』が上演。19歳だったため、滝沢の最年少座長記録を更新した。
11年の帝国劇場100周年記念公演の際は、高難度のアクロバットに初挑戦。中国雑技団直伝で、国内では初のお披露目となった“険勝好運舞空大回転”(大回転フライング)に挑んだ。5メートルの高さからバンジージャンプをして回転し、元の位置に戻る演技をやり遂げた。
KAT-TUNは4月から活動を再開したが、やはり亀梨は絶対的エースだ。
(北村ともこ)