TOKIOでは唯一の既婚者で9月1日に2児のパパとなった国分太一。15年9月に元TBS局員の女性と結婚して、翌16年10月に長女が誕生。44歳にして授かった2人目も女児とあって、女性に囲まれた国分パパは今後、デレデレの生活を送ることになりそうだ。
現在は、朝の情報番組「ビビット」(TBS)の司会者とあって、スーツ姿が板についている。彼が、NHKを含む在京キー局すべてで同時期にレギュラー番組を抱えて、芸能人史上初の快挙を達成したのは33歳のとき。その後も仕事は順調で、14年から17年までは「タレント番組出演本数ランキング」(ニホンモニター調べ)でトップに輝き堂々の4連覇を成し遂げた。
今でこそジャニーズ事務所の稼ぎ頭だが、この地位に上りつめるまでには苦労が絶えなかった。芸能記者が振り返る。
「国分がジャニーズJr.になったのは、13歳のとき。お父さんの猛反対を押しきり高校も辞めて、家出同然で合宿所に入っています。でも、CDデビューまでに7年もかかっています。仕事がないときは、城島茂とパチンコで日銭を手にしていました」
その後、TOKIOを結成し94年に「LOVE YOU ONLY」でCDデビューするも、仕事は安定しなかった。このころ国分は、企画書を作ってはテレビの番組プロデューサーに売り込んでいる。夜の接待に誘われると、企画書片手に参加。「仕事をください」と営業活動に精を出した。料理番組ではレシピ、スポーツ番組では取材相手を提案するなど、プレゼンに躍起になっていたという。
「光GENJIがデビューした87年、2月7日のオーディションで合格したのがV6の坂本昌行と国分。2人はSMAPの前身であるスケートボーイズに抜てきされ、SMAPにも選出されましたが、あくまでも補欠。SMAPの正式デビューが決まると、あっさり外されています。その悔しさがあるせいか、仕事に貪欲なんです」(前出・芸能記者)
「ビビット」を観たあとは「国分太一のおさんぽジャパン」(フジテレビ系)にスイッチするのが、ジャニヲタの正しい平日午前の過ごし方。今年も「2018上半期テレビ番組出演(延べ)本数ランキング」で1位を守っている。やはりかつて行っていた夜の接待が効いているのかもしれない。
(北村ともこ)