ジャニーズタレントが売れたことを実感できるのは、専属マネージャーがつき、移動が電車から社用車に変わったときだと言われている。下積み時代はSMAPにもあり、結成してからしばらくは電車で移動。おかげで都内の私鉄の乗り換えはほぼ把握しており、何号車に乗れば改札口に上がる階段が近いのかということまで覚えていたという。日常的な電車移動は、完ぺきだったようだ。
では、SMAP以降の後輩はどうか。TOKIOの移動について、当時をよく知るアイドル誌記者はこう話す。
「新人時代の90年ごろ、メンバー6人(当時)の待ち合わせ場所は決まって、都内の高田馬場のBIGBOX前だったそうです。ここで落ち合ってロケバスに乗車し、収録場所に向かっていました。当時、最年長の城島茂は20歳で、最年少で入所直後の長瀬智也は13歳。長瀬は大人になってから『高田馬場と書いて、BIGBOXと読むといっても過言ではない』と語っていますが、それほど思い出が詰まった場所のようです」
当時、城島以外は未成年。目的地によっては、メンバー同士が待ち合わせする場所が他にもあったようだ。松岡昌宏と長瀬は新横浜駅。山口達也と国分太一は池袋駅。城島は原宿の合宿所から1人で向かっていた。
「TOKIOの2世代後輩にあたるKinKi Kidsの場合は、堂本光一が兵庫県、堂本剛が奈良県出身。91年に入所して、中学生のときは学校が休みになる週末だけ上京して、ダンスレッスンを受けていました。当時の待ち合わせ場所は、中間地点の京都駅。新幹線で落ち合って、一緒に東京に向かっていたといいます」(前出・アイドル誌記者)
TOKIOにとっての高田馬場駅、KinKiにとっての京都駅。それは彼らにとって、大人の階段を登るための出発地点だったのかもしれない。
(北村ともこ)