4月8日に肺気腫のため福島県いわき市の病院で死去した、医事漫談の創始者であり第一人者であるケーシー高峰さん。85歳だった。50代以上の人ならば、白衣姿で首から聴診器を提げ「セニョール、セニョリータ」のラテンな挨拶で始まる、医学と艶っぽいネタを絶妙な塩梅で絡めた漫談をするケーシーの姿を思い出すことだろう。また50代以下の人でも、ドラマ「木更津キャッツアイ」(TBS系)や映画「木更津キャッツアイ日本シリーズ」で演じていた、男性を好きな男性で反社会的グループのトップ・小峰社長の怪演ぶりを思い出すのではないだろうか。つまりケーシーは、老若男女を問わず誰からも愛されていた芸人であり役者なのだ。
ケーシーの母方は先祖代々が医師の家系で、ケーシー自身も医師になることを周囲から勧められ日本大学医学部に進学。その後に同大学芸術学部に転部。大学卒業後に漫才コンビ「大空はるか・かなた」(ケーシー=かなた)を組んでデビューするも、「青空一門」と呼ばれる東京漫才界の対立騒動に巻き込まれて解散。1968年に「ケーシー高峰」と改名し、漫談家に転身。それが大きく当たったと言えるだろう。
「まだまだケーシーの足元にも及びませんが、医師免許を持ち、現役で医療の仕事もしながらピン芸人として活動している『しゅんしゅんクリニックP』の今後に期待したいですね。現在はキレキレのダンスとともに医事あるあるを盛り込んだ『ヘイ! ヘイ! ドクター』というネタをメインで演じていますが、年齢を重ねて身体的にキレキレのダンスがきつくなってきたら、ケーシーの後継者的な存在として医事と艶っぽいネタに個性を入れ込んだ“令和時代の医事漫談”をしてくれたら嬉しいのですが」(女性誌記者)
2010年4月25日放送の「笑いがいちばん」(NHK)に出演した際には、趣味と情報収集を兼ねて母と長兄から医学書を取り寄せていたが2人も亡くなってしまったため「図書館で医学書を読んでいる」と語っていたケーシー。これからは雲の上で親子兄弟仲よく、医学書を読んでほしい。