ジャニーズ事務所に入所して30年前後のアラフィフジャニーズたち。その半数近くはもう、既婚者だ。グループ活動しているメンバーで最年長のTOKIO・城島茂の結婚は、そんなアラフィフたちが我が事のように喜んだ。
今ではすっかりいいおじさんになった彼らだが、もちろんジャニーズJr.として若くハツラツだった時もある。この頃、練習環境はさほど恵まれていなかった。今は都内渋谷の一等地にレッスン場を構えているが、当時は出稽古に赴いていた。V6の年長組の20th Centuryの井ノ原快彦、同世代のTOKIOは出稽古の経験者だ。
「彼らが通っていたのは、都内にあった『池田体操教室』です。アクロバット未経験の少年たちが基礎を学ぶため、一部のJr.が通っていました。その存在を最初に嗅ぎつけたのは井ノ原。Jr.仲間に会ったときに腕を骨折していたので、『どうしたの?』と聞くと、『体操教室で折った』と返ってきたことでその存在を知った。すぐにジャニー喜多川さんに体操教室のことをたずねると『じゃあ、みんなも行こうよ』と言われ、軽いノリで通いはじめました」(アイドル誌ライター)
この体操教室には井ノ原、城島、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也が通っていた。彼らはジャニーズのレッスン同様、タダだと思っていたという。実際は事務所がしっかり月謝を払っていた。
「そんなこととは露知らず、Jr.たちは徐々にドロップアウト。最後まで真面目に学んでいたのは、井ノ原と松岡でした。城島はこの教室でバック転ができるようになったそうです。一緒に練習していた子たちは、一回転して着地と同時に大きなスポンジの中に埋もれていく城島の姿を見ています」(前出・アイドル誌ライター)
94年にTOKIOがデビュー。翌95年にV6がデビュー。みな次第に忙しくなり、最終的に教室に残ったのは井ノ原。最後のクリスマスパーティーでは、話せる友だちがいなくなっていたので、孤独だったという。
そんな経験の後にスーパースターになったアラフィフジャニーズたち。ちょっとやそっとではへこたれない精神の持ち主なのだ。
(北村ともこ)