俳優の哀川翔が6月22日、「ノンストップ」(フジテレビ系)に出演。知られざる過去と自身の芸名の由来を語った。
相川は1980年代に活動していたユニット・一世風靡セピアのメンバーとしてデビュー。その後、俳優としては100本以上の作品で主演を務めてきたが、デビュー前は雑誌「Popteen」のライターとして若者文化を追いかけていたという。そして、ライターとして一世風靡セピアの母体である劇男一世風靡の取材をするうちに自らが加入することになったという驚きの経緯を明かした。
ライター時代は「カケ メグル」「ショウ・ロンリーリバー」などのペンネームを使用。前者について哀川は「いつも駆け巡ってたから『カケ メグル』でいいんじゃない」と安易に決めたことを明かし、後者の「ショウ・ロンリーリバー」は現在の芸名である哀川翔が由来という。さらに哀川翔という名前にした経緯は「何か意味をもたせたくて、あ行がいいなと思って」と告白。そこから哀愁の“哀”を思いつき、「哀しみを川に流して翔びたて」を略して「哀川翔」に決めたと語った。ネットには哀川のネーミングセンスについて《だ、ださい‥‥》《ロンリーリバー素敵です笑》《ファーストサマーウイカと一緒やな》などさまざまな感想が集まった。
また、相川が「Popteen」のライターをしていたという事実について《哀川翔さん、一世風靡セピアは知っちょったけどその前は、Popteenのライターさんだったなんて、かなり驚愕》《哀川翔がPopteenの編集者だったことに衝撃を受けている》《これホントかよww 哀川翔はティーン向けの女性誌Popteenのライターやってたってwww》など驚きの声が続出した。
「『Popteen』は現在ではハイティーンの女子高校生向けのファッション雑誌として知られていますが、1980年の創刊から哀川がライターとして参加していたころはティーンエイジャー向けの男性雑誌で、いじめ問題を扱った硬派な記事やヤンキー路線、艶系の記事などが中心でした。雑誌が女性向けにシフトしていったのはギャルブームが訪れた90年代頃からなので、哀川はギャル向けの記事を書いていたわけではありません」(芸能記者)
カケ メグル、またはショウ・ロンリーリバーが当時、どんな記事を書いていたのか気になるところだ。
(柏原廉)