お笑い芸人のカンニング竹山が12月20日、自身のツイッターを更新。06年に亡くなった相方・中島忠幸さんを偲んだ。
竹山は中島さんとの写真を載せ「12月20日今年もこの日だった。もうあれから15年。若い世代には『何でカンニング竹山って変な名前つけてんの?』なんて言われたりもする。これも時代だなぁ。仕事終わり今夜も飲むか。あの時代を知ってる方ももしよければ。今夜はもうちょい働きます」とツイート。これには普段の2000倍以上となる9.1万いいねがついた。
ネットでも《笑いの金メダルやエンタの神様あたりからカンニングをずっと応援してます。キレて暴走する竹山さんをとめる中島さんとのやり取り好きでした》《ずっとカンニングを背負って頑張る竹山さんのこと、中島さんはコンビを組んで正解だったと誇りに思っていることでしょうね。頭が下がります。どうか美味しいお酒になりますように》《竹山さんはずっとカンニング竹山として活動している。これこそ本当のコンビ愛、男気のある方なんでしょうね》など中島さんを偲ぶ声や竹山を称える声が。また《今も相方の奥様に援助してるのかな?》といった声もあった。
「竹山の相方・中島さんは小学校からの同級生で1992年にお笑いコンビ・カンニングを結成しました。当初は全く売れませんでしたが、それを逆手にした竹山の“キレ芸”で04年ごろからブレイク。しかし、同年12月に中島さんが急性リンパ球性白血病を発症し長期休養へ。竹山はピンで活動していましたが、06年12月20日に中島さんは35歳で亡くなりました。コンビは実質的な解散となってしまいましたが、竹山は“カンニング竹山”としてソロ活動していくことを発表。理由は『自分が1人で活躍することによって、“カンニング”というコンビを忘れないでもらえる』というものでした。
その竹山のコンビ愛の強さゆえにデマが流れたことも。それは中島さんが亡くなった後も竹山がギャラの半分を相方の家族に渡しており、その根拠が“カンニング”という名前を残しているから、というものでした。しかし、それは竹山本人が『そんなことをしたら脱税で俺は捕まります』と完全否定しています。
その一方で、中島さんが病気療養中は竹山がピンで出演していたギャラを折半していたことは明らかになっています。この点について、竹山は美談ではないとした上で、闘病中の中島さんにネタの相談をしていたためギャラを分けるのが自然と考えていたことを明かしています。この話に尾ひれがついて亡くなった後もギャラを折半しているというデマが生まれたのでしょう」(芸能記者)
いずれにしても、15年立った今も相方を偲ぶ竹山の姿に心打たれた人が多いようだ。
(柏原廉)