KinKi Kids・堂本光一が3月6日放送の「日曜日の初耳学」(TBS系)に出演し、18歳の頃の超ハードなスケジュールを振り返った。
光一は、KinKi Kidsとしてメジャーデビューした1997年放送のドラマ「ぼくらの勇気 未満都市」(日本テレビ系)に出演した際の多忙ぶりを回想。「当時のドラマってスケジュールがめちゃくちゃな時代だった。今だったら絶対にダメなスケジュール」だと表現し、まだ東京湾にアクアラインが開通していなかったことから、千葉・木更津の撮影現場まで片道1時間半もかかったという。
撮影は朝7時から始まり、翌朝4時に終了するが、その3時間後の7時からはまた撮影が始まる、とんでもないスケジュールだった。移動時間も入れると、「休む時間、1時間もないんですか、みたいな感じ」で、光一は「それが週5日続く。残りの2日はバラエティ番組を7~8本(収録)」とし、「もう、ムチャクチャでした」と語った。
「1997年といえば、当時の社会現象となった話題作『家なき子2』や、『銀狼怪奇ファイル』(ともに日本テレビ系)での初主演などを経て、光一のドラマでの人気に火がついた時期で、KinKi Kidsとしても突出した活躍を披露していた頃です。相棒の堂本剛も、ほぼ同時期に『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)の撮影と学業の両立で、日々の睡眠時間は3時間ほど。疲労が溜まり、宙吊りのシーンでは思わず眠ってしまったこともあったとも報じられました。
後に、剛の“連ドラ離れ”を加速させてしまうことにもつながる超ハードスケジュールですが、光一も当時を『ムチャクチャでした』と嘆き、世間からは『未成年の労働基準法とは‥‥って今は思うもんなぁ』『よくお二人がこの時期の記憶がないとおっしゃいますけど、これだけ多忙だと納得です』『光一くん、スゴすぎ。そんなスケジュールでよく頑張れたと尊敬を通り越して神としか思えない。やっぱりすごい人は若い頃からすごい』などの反応が寄せられました」(テレビ誌ライター)
そんな光一だが、2017年2月の隔週連載「中山秀征の語り合いたい人」(女性自身)の中では、タレント・中山秀征から「1カ月休みがあって自由にしていいよって言われたら?」と聞かれると、「困りますね。じゃあ、仕事します。“なんか仕事入れてくれない?”って(笑)」と返答。また、睡眠時間すらまともに確保できなかった当時から、様々な資格の勉強を行っていたことも明かしており、「今まで(仕事を)辞めたいと思ったこともない」とも語っていた。
仕事と向き合う光一の根性と覚悟は並大抵のレベルではないのかもしれない。
(木村慎吾)