モデルでユーチューバーの木下優樹菜が5月21日に公開されたYouTubeチャンネル「街録ch~あなたの人生、教えて下さい~」に出演し、荒れた中学時代を振り返った。
同チャンネルを運営するTVディレクター・三谷三四郎氏から取材を受けた木下。同氏が「笑っていいとも!」(フジテレビ系)でADを務めていた時代に、木下は金曜レギュラーのメンバーとして活躍しており、この日は久しぶりの再会を喜んだ。
動画では、インフルエンサーとしても活動する木下の近況などで盛り上がる中、次第に話題は東京・葛飾区生まれの木下の「これまでの人生」へと波及。三谷氏から「ヤンチャっぽいキャラクター」のルーツについて聞かれた木下は「親の影響もないし、姉妹もみんな普通だし。なんか、ヤンキーになろうとは思ってなくて」と答え、中学1年の頃はバスケチームでキャプテンを任されるほど、スポーツに熱中していたという。
しかし、その後に入学した別の中学校は「ちょっとヤンチャな学校で有名だった」とし、徐々にバスケへの熱が薄れると、退部した後は「自由になった。髪の毛とかピアスとか」と回想。バスケに縛られた日々から解放され、そこから「ママとケンカして、1人で家出して、冬の公園のブランコで寝てたりとか」「ゲーセン(ゲームセンター)行って、補導されるみたいな」「タイマンもしてました」など、ヤンチャな人生が始まったと語った。
木下は、通っていたという“ヤンキー中学”には独特な「決まりがあった」と振り返り、中1のある日、女子の先輩から招集され、「このメンバーでトーナメント戦ね」とのお達しが。先輩によると、「番長と副番長を決めなきゃいけないの」「絶対に学年で必要なの」とのことで、突如として「各学年の番長・副番長を決めるタイマントーナメント」が開催されたという。
中学3年の先輩が取り仕切るタイマントーナメントに参戦させられた木下は、あれよあれよとライバルたちを蹴散らし、「結局、決勝まで行って」と、見事ファイナルに進出。ただ、「決勝の相手がマジで強くて。痛いし、もう無理ですって」とギブアップし、「自動的に副番長になった」と語った。
「木下にとっては、『正直、番長とか副番とか、どうでもいい』というのが本音だったものの、先輩からの命令によってタイマン大会に参加せざるを得なかったといいます。また、副番長となった木下の主な仕事は『番長の補佐やフォロー』だったとも説明。派手なカラーゴムや短めのスカートを履いている女子生徒を見つけてはニラみをきかせるという生活指導部のような役割だったようです。
YouTube上で公開される動画だったこともあり、赤裸々に荒々しい学生時代を振り返った木下には、『超面白かった!』『なんだろう、すごい純粋でいい人そう』『一生懸命に生きている感じがして共感できました!』などのコメントが付されるも、やはり“ヤンチャエピソード”への拒否反応は根強く、『こういった過去の話を言うのは個人的にあり得ないと思います』『子どもがいて、いい歳なのに、昔悪かった話をするのはどうかと思う』『若気の至りの話を30過ぎてするのは、みっともないよ。何の自慢にもならない』『今さらこういった話題を改めて語ることで一体誰が得をするのだろう』と、冷めたリアクションが並びました」(テレビ誌ライター)
木下からすると、あくまでインタビューの流れの中で言及したに過ぎないが、世間からは、なかなか「タイマントーナメント」に対する理解を得るのは難しいのかもしれない。
(木村慎吾)