お笑いコンビ・くりぃむしちゅーの有田哲平が5月30日放送の「賞金奪い合いネタバトル ソウドリ~SOUDORI~シーズン9」(TBS系)に出演し、2001年のコンビ改名時を振り返った。
この日、番組では、「特別企画・解体新笑」と銘打ち、有田と平成ノブシコブシ・徳井健太が「お笑い」をテーマに対談。有田は、幼馴染だった相方・上田晋也と1991年12月に「海砂利水魚」のコンビ名で結成し、翌年より放送を開始した「ボキャブラ天国」(フジテレビ系)では、同年代の爆笑問題、ネプチューンらとともに活躍した。
しかし、10年ほど活動する中で、徐々に人気が下降し始めた2000年、先輩コンビ・ウッチャンナンチャンがMCを務めるバラエティ番組「新・ウンナンの気分は上々。」(TBS系)にて、キャリアのターニングポイントを迎えることに。
番組では、内村光良の提案により、当時ライバル関係にあった海砂利水魚とバカルディ(現さまぁ~ず)が、改名をかけたガチンコ対決を実施することになり、海砂利水魚が勝利。バカルディは現在のさまぁ~ずへと改名した。
その1年後、リベンジのビーチバレー対決が行われると、今度は海砂利水魚が敗北。内村は、当初、海砂利水魚の改名候補となっていた「ザ・トライ」のネーミングを却下し、「有田、好きな食べ物は?」と質問。有田は「『クリームシチューです』って言ったら、『それいいじゃん!』って。それで上田置いてきぼりの名前になっちゃったわけよ」と改名に至る経緯を振り返り、当時は「へこみまくって。嫌だよ、クリームシチューって」と落胆していたという。
また、バカルディについては、罰ゲームの結果とはいえ、さまぁ~ずへの改名後に大ブレイクを果たし、人気芸人としての地位を確立。一方のくりぃむしちゅーは、改名後もイマイチな状況が続き、有田は「仕事、なんもなくて。1年くらい。どこに行っても、『お前ら、さまぁ~ずの二番煎じになれなかったな』って言われて」と辛かった日々を回想した。
そうした矢先、「(改名から)半年後くらいだったかな。『気分は上々』で内村さんが本当に困った表情で来て、『戻してもいいよ』って」と、内村からの言葉を明かした有田。続けて、改名を指示した内村からは「俺も反省したんだ。人生を変えるような‥‥申し訳ない。お前らがウチの番組で変えたのに」と謝罪もされたという。
これに有田と上田は「いや、せっかくつけていただいたんで、このままやらせてください」と返したといい、有田は「内村さんは優しいよ、本当」と感謝していた。
「ライバルだったさまぁ~ずのように、改名後にトントン拍子でブレイクとはならなかったくりぃむしちゅーでしたが、その境遇に内村も罪悪感を覚え始めると、海砂利水魚に戻すのか、本格的にくりぃむしちゅーとして活動していくのか、有田にとっても大きな葛藤があったようです。また、さまぁ~ず・三村マサカズも後に『俺たちは改名してから仕事が増えたけど、くりぃむしちゅーは改名してから仕事が増えるまで、1年くらいかかったから苦労したと思う』とも語っていました。それでも、内村が積極的に自身のレギュラー番組に有田と上田を出演させ、“くりぃむしちゅー”としての活動を定着させたようです。このエピソードに対して、ネット上には、『内村の人格だね。人の痛みがわかる人なんでしょう。だから慕う人も多い』『ウッチャン、いい人だなぁ』と感動する反応や、『改名はキッカケに過ぎなくて、もとからくりぃむしちゅーの2人は実力があったってことだよ』『以前のコンビ名でも最終的には売れてたとは思う』といった声もありました」(テレビ誌ライター)
好きな食べ物を「お好み焼き」だと公言していた上田にとっては微妙な心境だったかもしれないが、その後の快進撃を考えれば、やはり改名は大きくプラスに働いたといっても過言ではないだろう。
(木村慎吾)