ホステスへの性加害や番組スタッフへの暴行疑惑が報じられた俳優・香川照之だが、そのパワハラ体質はすでに30年以上も前から備わっていたようだ。
2019年7月、銀座のクラブで同席したホステスの胸を直に触り、女性をPTSDに追いやったとして大きな批判を集める香川。さらに8月31日配信の「文春オンライン」記事によれば、18年に放送された出演ドラマの懇親会の席でも、泥酔した挙句、女性スタッフに暴行した疑いがあるのだという。
香川は、周囲から「飲み過ぎです!」と注意されるほどの暴れようで、女性の頭部を殴打すると、すぐに謝罪したと同誌。そんな香川だが、彼自身もまた、34年前には見習いの新人ADとして現場を駆け回り、上司やベテラン俳優から怒鳴り散らされていた時代がある。
母は女優・浜木綿子、父は2代目市川猿翁という役者一家に生まれた香川。22歳の頃、俳優を志したい思いがあることを母に打ち明けたところ、「ADをやってみたら?」とTBSで現場経験を積むことになったという。
当時の過酷な労働環境について、香川は2015年2月放送の同局ラジオ「たまむすび」で次のように回想している。
「まぁ、12時間ぐらいずっと立ちっぱなしなんで。それからまず、大変な世界だなと。ADは」「で、もう合間に泉ピン子さんの厳しい攻撃があるわけですよ。『何待ちなんだよ、オイッ!』とか言われて。『すいません、ピン子さん。申し訳ございません。今ちょっとですね、いろいろなものがありまして』『アタシはもう待てねぇんだよ!』みたいな」などと、大物女優とのやり取りまでも思い返していた。
当時、香川はADのなかでいちばん下っ端だったというが、わずか2週間後に初めての後輩が現れると、その態度が一変し、先輩ヅラでのパワハラ体質を発揮。その6番手のADこそ、後に超大物監督となる行定勲だったのだ。
「ラジオの中で、香川はたった2週間の後輩である行定に対して、『行定くん! これね、ピン子さんはね、肉の弁当だから! ピン子さんに魚持っていっちゃダメだよ!』などと威張り倒し、『先輩面をふかしたらしいんです』と告白。香川にはあまりその当時の記憶はないというものの、“被害者”である行定は15年経ってもハッキリと覚えていました。2004年、映画『北の零年』の撮影で、監督と演者という関係で再会を果たした2人。その際、行定は過酷な雪山での撮影で15年越しのリベンジを敢行したのだとか」(テレビ誌ライター)
香川は17年放送の「ぴったんこカン・カン」(TBS系)で、AD時代からの知り合いである行定監督について「本番50回くらいやらされる。(雪山での撮影で)カットをかけないから落ちるかと思った。絶対俺のことを殺そうとしてる!」と“クレーム”。また、前述の「たまむすび」でも「彼はその時、『GO』で映画賞を総ナメにしたっていうのを経て来てるわけですから。したらもう、僕のことをテスト100回くらいやりましたよ。『あっ、香川さん、なんか違いますね。芝居が』って言われて。ものすごい時間をかけた復讐」と漏らしていた。
「一方の行定監督も14年6月放送の同局系『サワコの朝』で、TBS時代の香川の威圧的な振る舞いを『たった数週間先に入っただけですよ!? でも、かなりベテランみたいな感じを出してきて、すごいイヤな人でしたからね』とぶっちゃけ。AD業務の指導の際にも『早口でバババッて言うんです。“メモんなくていいの? 俺、1回しか言わないからね!”って』と、意地悪な扱いを受けていたそうです」(テレビ誌ライター)
香川はそんな現場スタッフ時代からも学ぶことは多かったとして、「僕の中でのAD物語」と位置付け、「ADほど辛い仕事はないなと思いましたから」「いろんなことを見させていただきましたよ」とも感謝。これに対し、共演者から「だからもう、香川さんなんて、ADに対する応対っていうのは優しいんじゃないですか?」と聞かれると、香川は「優しいですよ。もう、靴磨いてますから、僕」と返していた。
そんな香川による女性スタッフへの暴行疑惑は非常にショッキングなものではあるが、ヒット作の連発や、実力派俳優としての不動の地位が、日頃の振る舞いにも悪影響をもたらしてしまったのかもしれない。
(木村慎吾)