歌手・浜崎あゆみが残した伝説は伊達ではなかった。エイベックス会長・松浦勝人氏が、かつて直面した“あゆ依存”について語った。
松浦氏は、1990年代から2000年代にかけて、稀代の音楽プロデューサーとして活躍し、98年には無名のタレントだった浜崎を歌手デビューさせ、ヒット曲を連発。01年の「Dearest」から、02年「Voyage」、03年の「No way to say」まで、3年連続でのレコード大賞に導くなど、「平成の歌姫」を作り上げた仕掛け人だ。
そんな松浦氏が、10月17日までにYouTubeチャンネルにアップした、実業家・三崎優太氏、与沢翼氏らとの対談企画「賛否両論」の中で、華やかな90年代以降の日々を振り返ることに。
同氏はTRFや浜崎といったエイベックスの稼ぎ頭を担当していたが、全盛期の浜崎の売上について「超適当だけど、あゆの全盛期で、3~4年で500億円とかは余裕なんじゃないですか」と打ち明けた。
その内訳としては「CDだけじゃないもん。洋服も作って、ライブもやって、物販もして、ブランド作って‥‥いろいろやってたから」と説明。続けて、「エイベックスの売上の4~5割を占めちゃって、株主に怒られました」とも振り返り、株主側からすると「危ない。浜崎あゆみがいなくなったらエイベックスはどうするんだ」との思いだったようで、「じゃあ減らせばいいのかって俺は言ってましたけど」という。
当時、浜崎のエイベックスへの貢献度が高すぎることを揶揄した「あゆ依存」なる言葉も生まれるなど、まさに“伝説の歌姫”だったと言っても過言ではないだろう。
「浜崎は、CD総売上枚数が女性アーティストとして初めて5000万枚を突破。また、国内のシングル売上が下降気味になりつつあった02年には、27thシングル『H』で唯一となるミリオンセラーを達成。記録尽くしのキャリアを歩んできました。ネット上でも『今はいろいろと言われるあゆだけど‥‥マジであの人の影響力は凄かった』『浜崎あゆみが出てから、よく女の子があの歌い方をマネしていた』『CD売れまくってましたからね』などと当時を懐かしむ反応が上がっています」(テレビ誌ライター)
一時は、全盛期の年収が12億円とも噂された浜崎だが、浜崎を留めておきたいエイベックス側の事情を考慮すれば、その金額も頷けるというものだ。
(木村慎吾)