7月19日、今後はプロスケーターに転向すると表明した羽生結弦。11月4日から神奈川県横浜市の「ぴあアリーナMM」で、初の単独アイスショー「プロローグ」を開催している。12月5日からは、2020年4月に新設された青森県八戸市「フラット八戸」でも開催する予定だ。
同市は、羽生にとって思い出深い地。11年3月11日に起きた東日本大震災発生時、仙台市内のアイスリンクで練習中に被災した羽生は、4月から青森県八戸市のテクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)を仮の拠点とし、練習を続けていた。
当時を振り返り、新井田のリンクで練習していた羽生と同年代という元アイスホッケー選手は「羽生さんに悪いことをした」と懺悔する。
「チーム仲間とトイレに行ったら、個室が1つ閉まっていたんです。きっと、仲間の誰かが入っているんだと思って、僕らは『早く出て来いよー』とか言ってふざけていました。そうしたら、出てきたのはなんと、羽生さん。僕らがそそくさとドアの前からよけたら、何事もなかったかのように洗面台に行き、手を洗ってポケットからハンカチを出して手を拭くと、そのまま出て行きました。その時のバツの悪かったこと。なんて失礼なことをしてしまったんだと後悔しました。そのあとリンクに戻ったら、クラブの部員たちが羽生さんと一緒に写真を撮っていたので、僕らはそこに行って『先ほどはすいませんでした』って謝ったら“えー何? 何かあったの?”っていう表情で、首をかしげていました。その後、一緒に写真を撮ってくれたんです。もう、オーラが違いましたね」
当時は、シニアデビューしたばかりでNHK杯4位に入賞していた羽生。その頃からすでにフィギュアスケート界の王者の片鱗が見えていたようだ。